2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(6) 私の仮説
今回は、「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」の続編です。今回は、おそらく「再検証(3)」を読んでからでないとわからないことが多いと思いますのでできればそちらを先にお読みください。
ちなみに、これまでのシリーズはこちらです。また、目次「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証 目次」も作りましたのでそちらもご覧下さい。
7/7公開 「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(1)」
7/15公開 「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(2) トレンチの謎」
7/21公開 「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」
7/28公開 「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(4) トレンチの謎2 追加データ」
8/4公開「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(5) トレンチの謎3」
17.7つの条件をどうすれば満たすことができるか?
前回(「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」)私は、2年前の海洋漏洩事故を説明する仮説が満たすことが必要と考える条件を以下のように示しました。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。
(8) そもそも、海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されていること。ただし、このことは今回の海洋漏えい経路と直接関係していないかもしれないため、これは必ずしも満たされなくても良いと思います。
これらの条件について、今回は少し説明を加えます。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
(1)と(2)は同時に考えた方がいいと思います。この条件で明らかなことは、4/1か4/2に初めてピットAの中に高濃度汚染水が流れ込んできたことです。
2011年4/21の東電の報告書によると、

4/1には空間線量率が低かった(1.5mSv/h)から、4/1の時点から4/2の発見時のようにザーザー流れていたとは考えにくいという報告です。この報告から(1)の条件をつけました。
そしてその水がそのまま(あるいは下の砕石層を経由して)スクリーンへと流れ込んでいったことです。ピットAの水位がO.P.2400程度であるということは、おそらくそれ以上流れ込んできた水は、ピットAの北側面にできた大きな亀裂から外に流出したのではないかと予想されます。
つまり、こんなイメージだったのではないでしょうか?政府事故調の中間報告書資料V-10にあったような断面図を作成してみました。スクリーンに流入した地点のピットA付近を南北に切った断面図です。ケーブルが北側の管路からスクリーンに上がっていっています。

東電の報告書とは異なり、北にあるスクリーン操作室から電源ケーブル管路が来ているという前提に立って考えています。なお、なぜ東電のような説明が成立しないかについては後ほど述べたいと思います。

忘れている方のために、旧保安院が示してくれた、北へ向かうケーブル管路(スクリーン操作室電源管路)とピットAにできた大きなクラックが写った写真を再掲します。左が北なので上の断面図とは向きが反対ですから注意して下さい。また、ケーブル管路からケーブルが出てきて南側のスクリーンに向かっていることを確認しておいてください。

また、この図では、ピットAには地表面にクラックのあった北側には亀裂が入っており、そこから砕石層に汚染水が流れ出すことができるイメージにしてあります。なお、ピットAからスクリーンへは、直接流出する経路があったのか、あるいは砕石層を通じて流出したのか、両方なのか、現時点ではどれも有り得ますので二つの流路を作ってあります。地下水の水位は約O.P.2000としました。

ここで注目していただきたいのは地下水です。実はこのことは東電の記者会見などではほとんど出てこないのですが、東電自身が公表している遮水壁に関する資料(2012年4/23の「地下水バイパスによる1~4号機建屋内への地下水流入量低減方策について」)でこのスクリーン付近の地下水の水位は約2m前後であることが明確になっています。また、最近(8/8)の東電の地下水観測孔の水位データを見ても、No.1観測孔(これはピットBのほぼ真北に位置します)の水位が今年7月頃はO.P.2000程度であったことが明確になっています。また、7/24に発表した資料でもNo.1の水位(ピンク)は低い時でO.P.2000程度で、雨が降ると上昇することがわかっています。

東電HP:7/24に発表した資料(7/22の修正版)より
ピットAもほぼピットBと同様に地下水水位が約O.P.2000(2.0m)とした場合に、一つだけ多くの人が考えている事と違いが出てきます。それは、ピットA最下部のO.P.が1900ですので、その下にある砕石層が実は地下水に完全に浸かっているということです。
砕石層の部分が一番水を通しやすく、それ以外の土壌の部分は水を通しにくいため、水の流路としては砕石層を通りやすいということでは東電が説明していたとおりで変わりません。しかし、一度流路が確立してしまったら、周辺の地下水が砕石層に染みだしてきてスクリーンに流出するということは当然有り得ることです。つまり、4/5の夜から4/6にかけて一生懸命水ガラスを注入し、流れを止めた時の水は、トレンチから流れ出してきた高濃度汚染水そのものではない可能性が高い、ということなのです。条件(5)を再掲します。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。
4/4に96000Bq/cm3だったものが4/5にはすでに5500Bq/cm3になっていたこと、4/5の5500Bq/cm3が4/6に流出が止まったのに3200Bq/cm3にしか低下していないことを考えると、実質的な高濃度汚染水の流出は4/4までに止まっていたと考えるのが妥当です。その後に流れていたのは、地下水で10倍以上希釈された汚染水で、地下水の方がメインになっていたと思います。そう考えないと、2号スクリーンの海水データの低下と、一方で水量は4/5にはやや衰えていたものの4/4までの1/10以下にはなっていなかったことを説明できません。
つまり、高濃度汚染水の流出は4/4まででほとんど止まっており、4/5以降は汚染水の混じった地下水の流出を一生懸命に止めていただけという可能性もあるのです。
次に、(3)と(4)についてです。前回の「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」でも書きましたが、(3)と(4)というのは普通に考えると両立させるのが非常に難しい条件なのです。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。
これは、(3)の流量があまり下がらなかった=高濃度汚染水の流出が止められなかった、と考えると、だったらトレーサーは絶対に出てくるはず、という事になってしまいます。そのため、両立した説明をするのが非常に難しくなります。以前の私はここで思考がストップしてしまっていました。
しかし、上の(1)(2)で述べたように、高濃度汚染水の流出と流量はリンクしていないと考えると、別の説明も可能になります。
例えば、(3)で4/3におがくずや吸水ポリマーを投入した効果が実は現れていて、高濃度汚染水のトレンチからの新たな流出はほとんど止まっていたとしましょう。そうすれば、(4)で4/4のトレーサーが出てこなかった理由も説明が簡単につきます。ただし、(3)でコンクリートをはつって吸水ポリマーを入れた場所が、管路にヒビが入って砕石層に流出した場所よりも上流にあるということが条件になります。
その意味で、下の図にあるような東電の説明は明らかに間違っています。この説明図だと、4/4に入れたトレーサー(緑色の海水配管ダクトの1番上にある立て坑Bから入れた)は管路から砕石層を通ってスクリーンへと流出してしまいます。赤い矢印でつけたルートを通れば簡単に流出可能です。

(東電HP 2011年4/5 想定される要因 一部加筆)
そもそもこの図は、東電が公開している平面図(下図の右)とマッチしていないのであり得ないのですが、誰もこの点を指摘してこなかったのが不思議です。本来ならばこの二つのトレンチは、下の図で左下に書いた断面図のような接合をしています。

東電は2011年4月当時、トレーサーが出てこなかったのは上部のトレンチや管路が主な漏洩ルートではなく、下の砕石層から流れているだろうと判断したと説明をしました。確かに最終的には砕石層からスクリーンに流れていて、砕石層への止水で漏洩が止まりました。ではどこからその砕石層に流出したのか?トレンチからならばどこからなのか?それともトレンチ以外に流出源があるのか?4/4のトレーサーはなぜスクリーンから出なかったのか?どうして砕石層への流出が4/6に止まったのか?よく考えたら全然説明になっていないのですが、そこは全てすっ飛ばされています。しかしそのことを追求した人はこれまで誰もいなかったのです。
(3)で4/3に行った対策が実は効果があって高濃度汚染水はその後トレンチからほとんど流出していないが4/5の午後までは流量はあまり落ちなかったことが説明できれば、(1)~(5)の条件は満たすことができてしまうのです。また、次の(6)も別に難しい条件ではありません。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。
(6)はすでに述べたように、砕石層からスクリーンに流出する経路があるならばある意味当然のことです。この砕石層に4/5から4/6にかけて水ガラスを投入して止水できたのですから、その水がどんな水でどこから来たのかということは別として、誰も異論を唱えることはないと思います。
唯一難しい条件は、次の(7)です。(4)と(7)を両立させる説明を考えるのに苦労しました。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降の2号機トレンチ立て抗の水位がさがらずに上がったこと。
この事はトレンチ立て坑の水位が上がったのは4/7以降であってそれ以前ではないという条件でもあります。もし4/3のおがくずなどでトレンチが完全に詰まってしまったとすると、どうして4/4から水位が上昇しなかったのか?という説明が必要になります。そこをどうクリアするかについてはあとで述べます。
2011年4/6の東電の記者会見において「もしこれで汚染水の流出が止まったらその後トレンチの水位は上がるのか、下がるのか」という質問に対し、東電側は「上がることもあり得るし下がることもあり得るのでわからない」と回答しています(リンク先動画0:19:40付近)。つまりその時の想定としてはどちらでも有り得たわけです。
しかしながら、結果は明らかに4/7以降はトレンチの水位は上がりました。このあたりの細かい経緯については昨年書いた「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」に記載しましたのでここではくり返しません。下のグラフのみを再掲します。

このグラフから何がわかるかというと、4/5~4/6の止水工事により、スクリーンへの流出が完全に止まっただけでなく、「トレンチ水位という目に見えるレベルでの止水」もできたため、4/7以降は水位が上がったということなのです。
この事は少し解説が必要です。つまりトレンチの水位が上がるか下がるかということは、入ってくる水量と出て行く水量との差がどれだけあるかによって決まります。前日よりも差し引きで80m3(=80トン)増加すれば1cm水位が上昇し、逆に前日よりも80m3少なければ1cm水位が下降します。どうして80m3で1cmになるかというと、1-2号機のタービン建屋、原子炉建屋などが全て地下でつながっていて、合計約8000m2の面積で汚染水を貯めていると考えられるからです。詳細はこれも昨年書いたものになりますが、「サイフォンの原理を理解すれば放射能汚染水の管理は理解できる!」をお読みください。
ここではインプットとアウトプットとの差し引きが問題であり、インプットに比べてアウトプット、すなわち漏れ出している量が無視できるほど少なければ、トレンチの水位変化という形では測定できないということなのです。トレンチの水位は1mm単位ですので、1日8m3未満の漏れ(といっても一日7.2m3としても1時間に300L程度はあります)があっても、それは検出できないのです。これは今の議論には直接関係ありませんが、覚えておく必要はあります。
一日のインプット、これはすなわち炉心への注水量になりますが、蒸発する分を差し引いた有効注水量というものを私なりに計算してあります(詳細は昨年書いた「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」参照)。4/7以降は明らかにトレンチの水位が上がっていますので、1-2号機がつながっているとして、当時の1号機と2号機への有効注水量は1日約240トンです(上の棒グラフ)。漏れがほとんどないとすると、単純計算で毎日3cm程度トレンチ水位が上昇する計算ですが、4/7~4/11まではほぼそのペースで2号機のトレンチ水位が上昇しました。ということは、4/6でほぼ漏れが止まった可能性が高いということをトレンチの水位データは示しています。
どうして4/5~4/6の止水工事でほとんど漏れを止めることができたのでしょうか?汚染水がトレンチや管路だけを通っていくならば、その最終経路をふさいでしまえば汚染水の流れは止まり、4/7以降のトレンチやタービン建屋の水位が上がることを説明するのは簡単です。しかしながら、(6)のようにピットAの下部の砕石層付近にトレーサーを入れたらすぐにスクリーンからトレーサーが出てきましたし、大量に水ガラスを注入したことによって初めて止水ができました。この事は、スクリーンへの水の出口の一つは間違いなくピットA下部の砕石層からスクリーンへと通じていることが言えるわけです。ということは、汚染水は、閉じられた系ではなく開放系に流出したということを意味するのです。
実際、原子力規制庁は東電からの聴取を経て今年の7/29の第14回特定原子力施設監視・評価検討会(資料1-1)において、このような事を述べています。

第14回特定原子力施設監視・評価検討会(資料1-1) 34枚目(24頁)より
ここでは特に3番が重要です。
「砕石層に汚染水が達している場合には、土壌中への拡散や地下水への移行が考えられ、」
これはすでに私が述べた、開放された系に流出しているということを意味しています。
「特に地下水と接触している場合には、砕石層は水をせき止めることができず、土壌への浸透や、地下水の流れとともに移行する可能性がある。」
ここでは、地下水と接触している場合にはせき止めることができないと書いてあります。砕石層に出た汚染水は地下水と一体化してしまいますので、地下水の流れに乗って少しずつでも移動していきます。
一方で見方を変えると、地下水と接触していない場合には砕石層に流出してもまだせき止めることができるということです。もちろん完全にせき止めることはできませんが、土壌への拡散は、砕石層への拡散とは違って遅い(透水係数が小さい)ので、見た目には止まったように見えることがあるということを意味しています。
今回、4/5~4/6に水ガラスを注入したことにより、下の図のピットAから北に向かう管路下の砕石層も水ガラスでせき止められました。水ガラス注入により、スクリーンへの流出口付近及びピットAの亀裂は当然ふさぐことが出来たと思いますが、汚染水がピットAの北側(上流)ですでに砕石層に流出して流れてきていた可能性も考慮しておく必要があります。その水は水ガラスでせき止められたらどうなるのでしょうか。

この砕石層のO.P.は公開されていませんが、旧保安院の撮った写真から判断して管路最下端がO.P.2600程度、砕石層最下端はO.P.2300程度と考えています。ピットAの地下水がO.P.2000程度ならば砕石層は地下水に浸っていませんから、ここで砕石層の水の流れがせき止められれば、砕石層から土壌への拡散はゆっくりと起こっていく程度にとどまったと考えられます。
東電の発表では地下水は1日10cm=0.1m移動するということなので、砕石層(管路)の長さを仮に100m、高さを30cm=0.3mとすると、100×0.3×0.1=3トンが砕石層から土壌に浸透する計算になります。この計算は非常にラフなので、この数倍あったとしてもせいぜい1日20トン、水位にして0.25cm程度です。
この当時のトレンチ水位はO.P.2960とかO.P.3010(4/7)というように1cm単位で測定していました。つまり、1日80トン(=80m3)近く漏れ出ていない限り、砕石層から土壌への拡散は、毎日240トンもの注水による水位の増加に打ち消されてしまって検出できないということになるのです。砕石層からの漏れが仮に1日20トン=0.25cmとしても、注水による3cmの増加からすると誤差の範囲です。
つまり、砕石層が地下水で水浸しになっていなければ、砕石層から少しずつ漏れ続けていたとしてもトレンチ水位だけではその漏れを検出できず、見かけ上トレンチの水位は上昇するということがわかります。
4/5~4/6の止水工事を行って効果があったのは主にピットAの北側です。4/7以降にトレンチの水位上昇が起こったわけですから、重要なのはピットA北側であり、もし上流で汚染水が砕石層に流出していたとしてもそれはピットA北側から来ていると考えないと説明がつかないのです。
長い説明になりましたが、(7)の条件をクリアするためには、私が提案しているような、ピットAの北側に管路があってそこがメインの流出経路であったと考えない限り無理があるのです。東電の説明のように西から東に向かってピットB→ピットAの砕石層を流れていったとするとここでも無理が生じることを後で述べます。
ここまで説明してきたことをこの後もう少しわかりやすく時系列を追って説明していきます。
18.2011年4月に起こったこと(TSOKDBA仮説)
それでは、ここから私の仮説に基づいて、2011年4月初めの状態を再現していきます。なお、東電が資料を公開しない、あるいは東電自身も正確には把握していないためにわからない部分というのは存在します。これは震災後は入れない事務本館に入って図面を確認できない限り永久にわからないかもしれません。
また、ここで考えている前提条件が変わったらそれによって仮説も修正が必要です。あくまで上の7つの条件を満たす仮説という事でお考えください。
まず、2号機スクリーン近くのトレンチやケーブル管路の図を示します。ピットの位置、海水配管トレンチの立て坑の位置、そして管路のO.P.や他の情報から考えて高濃度汚染水が間違いなく通ったと考えられる管路は赤く塗ってあります。

3/27にはトレンチ水位はO.P.3m、3/29にはトレンチの水位はO.P.2960mmで、それから4/6までO.P.2960だったので、O.P.2960以下の管路には徐々に汚染水が到達していったものと考えられます。
4/2の漏えいに関して重要なルートは、立て坑A→立て坑B→はつり点です。ここまでの管路のO.P.は高いところでも2500ですので、3/27にははつり点にまで汚染水は到達していたものと思われます。とすると、はつり点からピットBまでは下の写真にあるように管路がありますので、その日のうちに汚染水がピットBに到達していたはずです。管路の中をケーブルが通っていることも注目しておいてください。また、この水位は政府事故調中間報告書資料V-12に書かれている情報とほぼピッタリ合っており、この位置では水が漏れずにO.P.2960であったことが考えられます。

(はつり点からピットBに向かうケーブル管路と、そこにたまっている水位O.P.2960の汚染水)
ピットBにはこの写真のように、3/27もしくは3/28にはO.P.2960付近まで汚染水がたまっていたはずです。ただし、ピットBの下部にはひびが入ったり穴が開いていないという前提です。

(東電HP 写真・動画集より)
そして、東電が主張するようにO.P.2500~O.P.3200の高さで幅110cmのケーブル管路がピットBからピットAに向かってあるならば、さきほどのはつり点と同様に水面から20cmほどはケーブル管路が顔を出しているはずです。ところが、写真の右側の壁をどんなによく見てもそんなものはありませんよね。あるのは壊れた鉄筋です。ケーブル管路に必要なケーブルも一切見えません。この壁面、穴が開いていて汚染水が外に漏れたりしないのでしょうか?ひょっとして漏れているから水位が少し低いということはないのでしょうか?そちらの方が気になります。
写真で明らかになったように、ピットBからピットAに東西につながるケーブル管路は存在しません。また、もしそのような管路が仮にあれば(例えばもっと低い位置にあるためにこの写真では見えない)、ピットAには3/27か3/28には汚染水がたまっていたはずです。
とすると、(1)の条件を満たしません。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
東電の2011年4/21の報告書には「流出が確認された前日の4月1日の昼頃の時点では、スクリーン近傍の空間線量率は1.5mSv/hであることが確認されており、線量率の上昇は見られないこと及び漏洩箇所に近いピット付近では海面への流出に伴う音が聞こえていなかった」とありますので、東電が主張するようなピットBからピットAへの東西に結ぶ管路があればこの状態にはならないのです。もっと早くピットAの線量は上昇していたはずですから。
では実際はどうだったのか?ここが実は謎のままなのですが、すでに示しているように、ピットAの北側にはケーブル管路があり、その先にはスクリーン操作室があります。どこをどうたどってスクリーン操作室、さらにはピットAにつながるのかは不明ですが、流路上ははつり点の下流のピットを通じてこの管路に到達し、ピットAに流入したのが4/1もしくは4/2と考えると条件(1)をクリアする事ができるのです。
最近わかったこととして、はつり点から西に電源ケーブル管路をさかのぼると、B2と呼んでいるマンホールから北にケーブル管路がある(O.P.2800)ことがわかりました。B2の断面図が下の図ではB-B断面図です。そこから北に向かうケーブル管路にあるピット77において2011年4月に1070mSv/hの空間線量率が確認されていたということが8/2のワーキンググループ(資料4枚目、3頁)で報告されました。1000mSv/hという空間線量率は1E+06Bq/cm3レベルの汚染水がないと到達できません。ですから、ピット77まではまず間違いなく汚染水が流入していました。

(8/2のワーキンググループの資料を改変)
となると、ピット77あるいはその手前のピット78から分岐する管路があれば、それをたどって汚染水がピットAにたどりついた可能性はあります。ここについてはこれ以上は現段階ではわかりませんが、そう考えない限り他の観測事実を説明する事は不可能なのです。東電の説明(ピットBからピットAへ東西につながる管路)はすでに条件(1)を満たさないということは示しました。
では、条件(1)を満たすのはどういう時でしょうか?
先ほど書いたようなピットAの南北の断面図で考えていきましょう。下図はピットAにトレンチからの汚染水が流入する前の様子です。東電の報告によれば4/1以前は汚染水がスクリーンに滝のように流れていたということはなかったということです。

4/1から4/2にかけて、北側の管路から汚染水が流入してきました。トレンチからどのようにしてこの管路に到達したかについては情報が公開されていないのでそこは謎のまま残しておきます。しかし、これで条件(1)を説明できます。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
また、下の図では砕石層への出口はピットAの北壁面の亀裂のみという仮説に基づいた説明を書いていますが、もう一つの可能性として、ピットAの北側のどこかですでに砕石層へ流出し、そこからも流れてきていた可能性も両方考えていきます。

ピットAには北側壁面に大きなクラックがあるため、汚染水はある程度たまったところで北側から外に流出し、砕石層へと流れ出します。だからピットAには深さ20cm程度(O.P.2400)までしか汚染水がたまっていなかったのです。一方で、ピットAから直接スクリーンに流出した経路もあると考えます。
スクリーンへの流出口のO.P.は正確には記載されておらず、政府事故調中間報告書資料V-10によるとだいたいO.P.1700前後です。このO.P.から考えると砕石層からしかスクリーンにはつながっていないと考えるのが普通ですが、東電HPによると、ピットA内の水を採取してCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンに流出して海に落ちるまでの水を採取して1,800,000Bq/cm3と、どちらの値も当時のトレンチの濃度そのままです。もし砕石層を通じてスクリーンに流出していると、地下水とすぐに混ざってしまい、多少は濃度が薄くなってしまうはずです。希釈されていないということは、4/2の採取サンプルは直接スクリーンに流出したと考えざるを得ません。

これで条件(2)を説明できます。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
そして、4/2にピットAにコンクリートを投入しました。これにより、ピットAから直接スクリーンに流入するのはほぼ抑えられたはずです。それでも流出が止まらなかったのは、今度は砕石層からの流出がメインになっていったからです。そして、砕石層にはすでに地下水もたまっており、地下水と混ざって希釈された汚染水の流出も始まっていったのです。

翌4/3には、上流のはつり点からおがくずや高分子ポリマー、新聞紙が投入されました。これによってトレンチや管路をある程度詰まらせることには成功したのだと思います。しかし、スクリーンからの流出量は減りませんでした(少なくとも減ったという報告はないようです)。これは地下水が砕石層にわき出してきて流量をカバーしていたのだと思います。これで条件(3)を説明できます。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
また、4/3のおがくず等により、トレンチから砕石層への漏洩はかなりゆっくりになったはずですが、その先の流路にある管路やピットにある高濃度汚染水はもし出口があれば低い方へ流れていくはずです。ピットAのコンクリート充填でどれだけ北からの管路をふさぐことができたのかはわかりませんが、おそらく4/2には完全には止められなくて、この管路下の砕石層にはどんどん汚染水があふれ、管路下の砕石層を通って北へも流れていったはずです。また、一部はピットAの下の砕石層で地下水と混ざってスクリーンから流出していたはずです。

4/4のトレーサーがスクリーンから流出しなかったことは、このような流路を想定するならば当然かもしれません。3/27に立て坑BでO.P.2960になっていたのに、ピットAに汚染水が到達したのが4/1以降であるならば、4/4に立て坑Bに入れたトレーサーは1日後の4/5にはまだピットAに到達しなくてもおかしくありません。まして、前日のおがくずなどによって流速が遅くなっている可能性もあるのです。この説明では、本当にそんなに長いルートがあったのか?という疑問は残りますが、東電の説明を信じて(1)を仮定するならばトレーサーが出てこなくても不思議ではありません。これで条件(4)も説明できます。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。

以上の仮説により、2号機スクリーンの海水Cs-137の濃度が、4/3(36,000Bq/cm3)、4/4(96,000Bq/cm3)は4/2(120,000Bq/cm3)と比べてもそれなりの濃度があることは説明できます。ピットA北壁面のクラックから砕石層を通じて北に流出した高濃度汚染水は、管路からの汚染水供給が少なくなったら逆流してスクリーンへ流れ出したのでしょう。(またはもっと上流で砕石層に流出してピットAにまで流れてきたという可能性もあります。)一方、4/5に前日の1/10以下の5,500Bq/cm3となったのはこれらの高濃度汚染水がほとんど流れきってしまったということを示していると考えられます。はつり点で新たな汚染水の供給がかなり減少してしまったので、ある程度流れてしまったらそれ以上は供給されなかったのでしょう。

これで条件(5)も説明できます。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。

4/5のトレーサーがスクリーンから出たこと、及び水ガラス投入によって止水できたことは特に説明するまでもないでしょう。これで条件(6)も説明できます。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

そして、4/5~4/6の止水により、北側の管路の砕石層がせき止められました。この止水により、管路やピットAのヒビはふさがれた可能性が高いです。砕石層への出口がピットA北壁面だけならば、これで完全に流路を止めることができました。
また、ピットAの上流ですでに管路にヒビが入っていて砕石層に流出していたケースでも、上図のように水ガラスで砕石層をせき止められた水はまわりの土壌に浸透していきました。ただし、その浸透はトレンチの水位という指標(80トンあふれてやっと1cm下がる)からすると微量であり、検出できるほどのものではありませんでした。そのため、4/7以降はトレンチの水位が上昇していったのです。これで条件(7)も説明が可能です。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。
以上、私の考える仮説で条件(1)~(7)を満たすことが説明できました。
この中には、不明な点がいくつか残されています。1番大きいのは具体的な流路がわからないということです。
それ以外にも、スクリーンへの流出口はピットAの内部からもあるのか、あるいは砕石層からだけなのか、という点もあります。砕石層からだけだとすると、3月時点ですでに地下水はたまっていたはずなので、どうして地下水が3月時点でこの穴から流れ出していなかったのかという疑問があります。そのため両方から流出できるようなイメージにしていますが、そもそもこの穴はヒビなのか、元々あったドレン孔なのかもわかりません。これについては永久に答が出ない問題だと思います。
また、条件(1)を満たすと条件(8)は満たすことができません。3月からの漏洩に関しては別の考え方をしないといけなさそうです。今回はそこに関しては言及しないことにします。
また、トレンチの水位を考える中で、4/6までは水位が変わらなかったことは確認しています。ということは、注水量が1日240トンならばトレンチから外に出た分も240トンになりまず。スクリーンに流出した4.3m3/時=約100トン/日と差し引き140トンがどこへ消えたのか?という疑問もまだ解消されていません。これについても未解決です。
19.東電の説明はどこに無理があるのか?
ここでは、東電が主張するような説明だとどこに無理があるか、いくつか根拠を上げておきます。
まず条件(1)が成立しないことはすでに述べました。ただ、水の流れがもっとゆっくりという可能性もあるので仮に(1)をクリアできたとしましょう。おそらく東電が1番もれた可能性があると考えているのは、おそらくはつり点の近くの海水配管トレンチと電源ケーブルトレンチの接合部でしょう。ただ、これははつり点そのものにあるため、(3)と(4)を両立させることが難しいです。また、先ほどお見せした写真では4/3時点でO.P.2960と考えて問題ない水位でしたので、この付近から漏れているとは考えにくいです。この点でも無理があります。

(政府事故調中間報告書資料V-12より)
また、はつり点からピットB、ピットAは政府事故調中間報告書資料V-11にあるような構造をしています。

政府事故調中間報告書資料V-11より
ピットBはおそらくピットAと同じサイズですので、ピットBの下端はO.P.2200よりさらに30cm低いO.P.1900です。とすると、その下の砕石層はまず間違いなく地下水に浸っています。となると、下の図のようなイメージになり、砕石層が所々で地下水に覆われている流路となります。実際には砕石層の深さは揃えてある可能性があるため、この図とは違うかもしれませんが、いずれにせよ、砕石層が地下水と接している状態になります。この状況では(7)が成立しないと思います。

海水配管トレンチと電源ケーブルトレンチの接合部から汚染水が砕石層に漏れ出たという仮定をした場合、1番問題になるのは(6)です。
政府事故調中間報告書資料V-14には、水ガラスをどのように投入したか全て記載してあります。そして、3回目と4回目についてはトレーサー(入浴剤)も薬液注入も効果がなかったとはっきり書いてあるのです。

政府事故調中間報告書資料V-14より
東電が主張するようにピットBとピットAを東西につなぐ管路があり、その下の砕石層を汚染水が通っていたならば、4番は少なくともトレーサーは出てくるはずなのです。それが効果がなかったということは、ここは汚染水が通っていたルートではないということを証明しているのです。
「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(1)」でもご紹介したように、東電や旧保安院が出す資料では4番の向きを変えています。ただ、今回の政府事故調中間報告書資料V-14は、他の資料では決して出てこなかった「スクリーン操作室(電線)管路」という言葉を記載してくれているように、この資料の信頼性はかなり高いと判断できます。また、2011年4月当時の混乱した状況ではなく、半年以上経ってから落ち着いた状態でのヒアリングによるものですから、こちらの方が信頼性は高いと思います。他の状況証拠とも合致するのは政府事故調の資料です。
当時の記者会見においても、トレーサーが出てこなかった事があるというのははっきりと述べていますので、そこも間違いありません。
全ての証拠はピットBからピットAにつながる管路は存在しなかったということを示しています。一方で、図面上にはピットBからピットAにつながる管路は存在します。東電本店は図面で判断しており、このルートで何の不都合もありませんのでその先入観から抜け出せなかったのと、説明のしやすさから考えて、そういう管路があることにしたのだと思います。
おそらく東電自身も、ピットAの北側から汚染水が来ている可能性についてはわかっていると思いますが、ではそれがどこをどうたどっているのか?ということについては図面にないのでわからないというのが実情なのだと思います。そんな曖昧な状態では記者会見にも臨めないでしょうから、1番説明がスッキリする流路を説明用に選んだのだと思います。
20.2011年4月の状態がわかると現状把握にどうつながるのか?
このシリーズを読んでくださっている人のほとんどは、はっきり言って、2011年4月当時に何が起こったのかについてはあまり興味がないでしょう。でも、ほとんどが地下にあるために何が起こっているのかほとんどわからない現状で、東電の説明が正しいのかごまかしているのかを判断するためにも、まずは2年半前に何がおこっていて、それからその後どういうことが起こっていったのかを順番に解きほぐしていかないといけないと私は思います。
もちろん、データが不足しているためにわからないことが多いです。しかし、最近になってトレンチの調査を行ってくれたために、2号機のトレンチがどうなっているのか、大体のイメージがつかめてきました。
ですから、今回お示しした仮説は完全には合っていないかもしれません。新たな情報が出てきたら修正が必要かもしれませんし、考え方の間違いがあれば是非教えていただいて修正していきたいと思います。ただ、大筋では当たっていると私は考えています。
今回作り上げた2011年4月のトレンチの状態を元に、その後いろいろ行われた工事や事故の対応を踏まえて、2011年4月以降現在までトレンチや地下水、サブドレンなどがどうなっていったのか、今後はそれを考えていきたいと思います。
今回やっと自分なりの仮説をまとめることができました。1年前に「福島第一原発2号機の謎に迫る(仮題)」でトライした時にはわからなかったことが、新たな事態の進展を受けて多くの情報が集積されてきました。
このシリーズはもう一回最後のまとめをして、それ以降は2011年4月以降の話に迫っていきたいと思います。それが今世間を騒がせている一日300トンあるいは400トン海に地下水が流出するという話を正しく理解することにもつながると思っています。
今回の話で疑問点、反論などあればぜひコメントやツイッターなどでいただければと思います。よろしくお願いいたします。
前回(「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」)私は、2年前の海洋漏洩事故を説明する仮説が満たすことが必要と考える条件を以下のように示しました。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。
(8) そもそも、海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されていること。ただし、このことは今回の海洋漏えい経路と直接関係していないかもしれないため、これは必ずしも満たされなくても良いと思います。
これらの条件について、今回は少し説明を加えます。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
(1)と(2)は同時に考えた方がいいと思います。この条件で明らかなことは、4/1か4/2に初めてピットAの中に高濃度汚染水が流れ込んできたことです。
2011年4/21の東電の報告書によると、

4/1には空間線量率が低かった(1.5mSv/h)から、4/1の時点から4/2の発見時のようにザーザー流れていたとは考えにくいという報告です。この報告から(1)の条件をつけました。
そしてその水がそのまま(あるいは下の砕石層を経由して)スクリーンへと流れ込んでいったことです。ピットAの水位がO.P.2400程度であるということは、おそらくそれ以上流れ込んできた水は、ピットAの北側面にできた大きな亀裂から外に流出したのではないかと予想されます。
つまり、こんなイメージだったのではないでしょうか?政府事故調の中間報告書資料V-10にあったような断面図を作成してみました。スクリーンに流入した地点のピットA付近を南北に切った断面図です。ケーブルが北側の管路からスクリーンに上がっていっています。

東電の報告書とは異なり、北にあるスクリーン操作室から電源ケーブル管路が来ているという前提に立って考えています。なお、なぜ東電のような説明が成立しないかについては後ほど述べたいと思います。

忘れている方のために、旧保安院が示してくれた、北へ向かうケーブル管路(スクリーン操作室電源管路)とピットAにできた大きなクラックが写った写真を再掲します。左が北なので上の断面図とは向きが反対ですから注意して下さい。また、ケーブル管路からケーブルが出てきて南側のスクリーンに向かっていることを確認しておいてください。

また、この図では、ピットAには地表面にクラックのあった北側には亀裂が入っており、そこから砕石層に汚染水が流れ出すことができるイメージにしてあります。なお、ピットAからスクリーンへは、直接流出する経路があったのか、あるいは砕石層を通じて流出したのか、両方なのか、現時点ではどれも有り得ますので二つの流路を作ってあります。地下水の水位は約O.P.2000としました。

ここで注目していただきたいのは地下水です。実はこのことは東電の記者会見などではほとんど出てこないのですが、東電自身が公表している遮水壁に関する資料(2012年4/23の「地下水バイパスによる1~4号機建屋内への地下水流入量低減方策について」)でこのスクリーン付近の地下水の水位は約2m前後であることが明確になっています。また、最近(8/8)の東電の地下水観測孔の水位データを見ても、No.1観測孔(これはピットBのほぼ真北に位置します)の水位が今年7月頃はO.P.2000程度であったことが明確になっています。また、7/24に発表した資料でもNo.1の水位(ピンク)は低い時でO.P.2000程度で、雨が降ると上昇することがわかっています。

東電HP:7/24に発表した資料(7/22の修正版)より
ピットAもほぼピットBと同様に地下水水位が約O.P.2000(2.0m)とした場合に、一つだけ多くの人が考えている事と違いが出てきます。それは、ピットA最下部のO.P.が1900ですので、その下にある砕石層が実は地下水に完全に浸かっているということです。
砕石層の部分が一番水を通しやすく、それ以外の土壌の部分は水を通しにくいため、水の流路としては砕石層を通りやすいということでは東電が説明していたとおりで変わりません。しかし、一度流路が確立してしまったら、周辺の地下水が砕石層に染みだしてきてスクリーンに流出するということは当然有り得ることです。つまり、4/5の夜から4/6にかけて一生懸命水ガラスを注入し、流れを止めた時の水は、トレンチから流れ出してきた高濃度汚染水そのものではない可能性が高い、ということなのです。条件(5)を再掲します。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。
4/4に96000Bq/cm3だったものが4/5にはすでに5500Bq/cm3になっていたこと、4/5の5500Bq/cm3が4/6に流出が止まったのに3200Bq/cm3にしか低下していないことを考えると、実質的な高濃度汚染水の流出は4/4までに止まっていたと考えるのが妥当です。その後に流れていたのは、地下水で10倍以上希釈された汚染水で、地下水の方がメインになっていたと思います。そう考えないと、2号スクリーンの海水データの低下と、一方で水量は4/5にはやや衰えていたものの4/4までの1/10以下にはなっていなかったことを説明できません。
つまり、高濃度汚染水の流出は4/4まででほとんど止まっており、4/5以降は汚染水の混じった地下水の流出を一生懸命に止めていただけという可能性もあるのです。
次に、(3)と(4)についてです。前回の「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(3) 電源ケーブルはどこから?」でも書きましたが、(3)と(4)というのは普通に考えると両立させるのが非常に難しい条件なのです。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。
これは、(3)の流量があまり下がらなかった=高濃度汚染水の流出が止められなかった、と考えると、だったらトレーサーは絶対に出てくるはず、という事になってしまいます。そのため、両立した説明をするのが非常に難しくなります。以前の私はここで思考がストップしてしまっていました。
しかし、上の(1)(2)で述べたように、高濃度汚染水の流出と流量はリンクしていないと考えると、別の説明も可能になります。
例えば、(3)で4/3におがくずや吸水ポリマーを投入した効果が実は現れていて、高濃度汚染水のトレンチからの新たな流出はほとんど止まっていたとしましょう。そうすれば、(4)で4/4のトレーサーが出てこなかった理由も説明が簡単につきます。ただし、(3)でコンクリートをはつって吸水ポリマーを入れた場所が、管路にヒビが入って砕石層に流出した場所よりも上流にあるということが条件になります。
その意味で、下の図にあるような東電の説明は明らかに間違っています。この説明図だと、4/4に入れたトレーサー(緑色の海水配管ダクトの1番上にある立て坑Bから入れた)は管路から砕石層を通ってスクリーンへと流出してしまいます。赤い矢印でつけたルートを通れば簡単に流出可能です。

(東電HP 2011年4/5 想定される要因 一部加筆)
そもそもこの図は、東電が公開している平面図(下図の右)とマッチしていないのであり得ないのですが、誰もこの点を指摘してこなかったのが不思議です。本来ならばこの二つのトレンチは、下の図で左下に書いた断面図のような接合をしています。

東電は2011年4月当時、トレーサーが出てこなかったのは上部のトレンチや管路が主な漏洩ルートではなく、下の砕石層から流れているだろうと判断したと説明をしました。確かに最終的には砕石層からスクリーンに流れていて、砕石層への止水で漏洩が止まりました。ではどこからその砕石層に流出したのか?トレンチからならばどこからなのか?それともトレンチ以外に流出源があるのか?4/4のトレーサーはなぜスクリーンから出なかったのか?どうして砕石層への流出が4/6に止まったのか?よく考えたら全然説明になっていないのですが、そこは全てすっ飛ばされています。しかしそのことを追求した人はこれまで誰もいなかったのです。
(3)で4/3に行った対策が実は効果があって高濃度汚染水はその後トレンチからほとんど流出していないが4/5の午後までは流量はあまり落ちなかったことが説明できれば、(1)~(5)の条件は満たすことができてしまうのです。また、次の(6)も別に難しい条件ではありません。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。
(6)はすでに述べたように、砕石層からスクリーンに流出する経路があるならばある意味当然のことです。この砕石層に4/5から4/6にかけて水ガラスを投入して止水できたのですから、その水がどんな水でどこから来たのかということは別として、誰も異論を唱えることはないと思います。
唯一難しい条件は、次の(7)です。(4)と(7)を両立させる説明を考えるのに苦労しました。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降の2号機トレンチ立て抗の水位がさがらずに上がったこと。
この事はトレンチ立て坑の水位が上がったのは4/7以降であってそれ以前ではないという条件でもあります。もし4/3のおがくずなどでトレンチが完全に詰まってしまったとすると、どうして4/4から水位が上昇しなかったのか?という説明が必要になります。そこをどうクリアするかについてはあとで述べます。
2011年4/6の東電の記者会見において「もしこれで汚染水の流出が止まったらその後トレンチの水位は上がるのか、下がるのか」という質問に対し、東電側は「上がることもあり得るし下がることもあり得るのでわからない」と回答しています(リンク先動画0:19:40付近)。つまりその時の想定としてはどちらでも有り得たわけです。
しかしながら、結果は明らかに4/7以降はトレンチの水位は上がりました。このあたりの細かい経緯については昨年書いた「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」に記載しましたのでここではくり返しません。下のグラフのみを再掲します。

このグラフから何がわかるかというと、4/5~4/6の止水工事により、スクリーンへの流出が完全に止まっただけでなく、「トレンチ水位という目に見えるレベルでの止水」もできたため、4/7以降は水位が上がったということなのです。
この事は少し解説が必要です。つまりトレンチの水位が上がるか下がるかということは、入ってくる水量と出て行く水量との差がどれだけあるかによって決まります。前日よりも差し引きで80m3(=80トン)増加すれば1cm水位が上昇し、逆に前日よりも80m3少なければ1cm水位が下降します。どうして80m3で1cmになるかというと、1-2号機のタービン建屋、原子炉建屋などが全て地下でつながっていて、合計約8000m2の面積で汚染水を貯めていると考えられるからです。詳細はこれも昨年書いたものになりますが、「サイフォンの原理を理解すれば放射能汚染水の管理は理解できる!」をお読みください。
ここではインプットとアウトプットとの差し引きが問題であり、インプットに比べてアウトプット、すなわち漏れ出している量が無視できるほど少なければ、トレンチの水位変化という形では測定できないということなのです。トレンチの水位は1mm単位ですので、1日8m3未満の漏れ(といっても一日7.2m3としても1時間に300L程度はあります)があっても、それは検出できないのです。これは今の議論には直接関係ありませんが、覚えておく必要はあります。
一日のインプット、これはすなわち炉心への注水量になりますが、蒸発する分を差し引いた有効注水量というものを私なりに計算してあります(詳細は昨年書いた「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」参照)。4/7以降は明らかにトレンチの水位が上がっていますので、1-2号機がつながっているとして、当時の1号機と2号機への有効注水量は1日約240トンです(上の棒グラフ)。漏れがほとんどないとすると、単純計算で毎日3cm程度トレンチ水位が上昇する計算ですが、4/7~4/11まではほぼそのペースで2号機のトレンチ水位が上昇しました。ということは、4/6でほぼ漏れが止まった可能性が高いということをトレンチの水位データは示しています。
どうして4/5~4/6の止水工事でほとんど漏れを止めることができたのでしょうか?汚染水がトレンチや管路だけを通っていくならば、その最終経路をふさいでしまえば汚染水の流れは止まり、4/7以降のトレンチやタービン建屋の水位が上がることを説明するのは簡単です。しかしながら、(6)のようにピットAの下部の砕石層付近にトレーサーを入れたらすぐにスクリーンからトレーサーが出てきましたし、大量に水ガラスを注入したことによって初めて止水ができました。この事は、スクリーンへの水の出口の一つは間違いなくピットA下部の砕石層からスクリーンへと通じていることが言えるわけです。ということは、汚染水は、閉じられた系ではなく開放系に流出したということを意味するのです。
実際、原子力規制庁は東電からの聴取を経て今年の7/29の第14回特定原子力施設監視・評価検討会(資料1-1)において、このような事を述べています。

第14回特定原子力施設監視・評価検討会(資料1-1) 34枚目(24頁)より
ここでは特に3番が重要です。
「砕石層に汚染水が達している場合には、土壌中への拡散や地下水への移行が考えられ、」
これはすでに私が述べた、開放された系に流出しているということを意味しています。
「特に地下水と接触している場合には、砕石層は水をせき止めることができず、土壌への浸透や、地下水の流れとともに移行する可能性がある。」
ここでは、地下水と接触している場合にはせき止めることができないと書いてあります。砕石層に出た汚染水は地下水と一体化してしまいますので、地下水の流れに乗って少しずつでも移動していきます。
一方で見方を変えると、地下水と接触していない場合には砕石層に流出してもまだせき止めることができるということです。もちろん完全にせき止めることはできませんが、土壌への拡散は、砕石層への拡散とは違って遅い(透水係数が小さい)ので、見た目には止まったように見えることがあるということを意味しています。
今回、4/5~4/6に水ガラスを注入したことにより、下の図のピットAから北に向かう管路下の砕石層も水ガラスでせき止められました。水ガラス注入により、スクリーンへの流出口付近及びピットAの亀裂は当然ふさぐことが出来たと思いますが、汚染水がピットAの北側(上流)ですでに砕石層に流出して流れてきていた可能性も考慮しておく必要があります。その水は水ガラスでせき止められたらどうなるのでしょうか。

この砕石層のO.P.は公開されていませんが、旧保安院の撮った写真から判断して管路最下端がO.P.2600程度、砕石層最下端はO.P.2300程度と考えています。ピットAの地下水がO.P.2000程度ならば砕石層は地下水に浸っていませんから、ここで砕石層の水の流れがせき止められれば、砕石層から土壌への拡散はゆっくりと起こっていく程度にとどまったと考えられます。
東電の発表では地下水は1日10cm=0.1m移動するということなので、砕石層(管路)の長さを仮に100m、高さを30cm=0.3mとすると、100×0.3×0.1=3トンが砕石層から土壌に浸透する計算になります。この計算は非常にラフなので、この数倍あったとしてもせいぜい1日20トン、水位にして0.25cm程度です。
この当時のトレンチ水位はO.P.2960とかO.P.3010(4/7)というように1cm単位で測定していました。つまり、1日80トン(=80m3)近く漏れ出ていない限り、砕石層から土壌への拡散は、毎日240トンもの注水による水位の増加に打ち消されてしまって検出できないということになるのです。砕石層からの漏れが仮に1日20トン=0.25cmとしても、注水による3cmの増加からすると誤差の範囲です。
つまり、砕石層が地下水で水浸しになっていなければ、砕石層から少しずつ漏れ続けていたとしてもトレンチ水位だけではその漏れを検出できず、見かけ上トレンチの水位は上昇するということがわかります。
4/5~4/6の止水工事を行って効果があったのは主にピットAの北側です。4/7以降にトレンチの水位上昇が起こったわけですから、重要なのはピットA北側であり、もし上流で汚染水が砕石層に流出していたとしてもそれはピットA北側から来ていると考えないと説明がつかないのです。
長い説明になりましたが、(7)の条件をクリアするためには、私が提案しているような、ピットAの北側に管路があってそこがメインの流出経路であったと考えない限り無理があるのです。東電の説明のように西から東に向かってピットB→ピットAの砕石層を流れていったとするとここでも無理が生じることを後で述べます。
ここまで説明してきたことをこの後もう少しわかりやすく時系列を追って説明していきます。
18.2011年4月に起こったこと(TSOKDBA仮説)
それでは、ここから私の仮説に基づいて、2011年4月初めの状態を再現していきます。なお、東電が資料を公開しない、あるいは東電自身も正確には把握していないためにわからない部分というのは存在します。これは震災後は入れない事務本館に入って図面を確認できない限り永久にわからないかもしれません。
また、ここで考えている前提条件が変わったらそれによって仮説も修正が必要です。あくまで上の7つの条件を満たす仮説という事でお考えください。
まず、2号機スクリーン近くのトレンチやケーブル管路の図を示します。ピットの位置、海水配管トレンチの立て坑の位置、そして管路のO.P.や他の情報から考えて高濃度汚染水が間違いなく通ったと考えられる管路は赤く塗ってあります。

3/27にはトレンチ水位はO.P.3m、3/29にはトレンチの水位はO.P.2960mmで、それから4/6までO.P.2960だったので、O.P.2960以下の管路には徐々に汚染水が到達していったものと考えられます。
4/2の漏えいに関して重要なルートは、立て坑A→立て坑B→はつり点です。ここまでの管路のO.P.は高いところでも2500ですので、3/27にははつり点にまで汚染水は到達していたものと思われます。とすると、はつり点からピットBまでは下の写真にあるように管路がありますので、その日のうちに汚染水がピットBに到達していたはずです。管路の中をケーブルが通っていることも注目しておいてください。また、この水位は政府事故調中間報告書資料V-12に書かれている情報とほぼピッタリ合っており、この位置では水が漏れずにO.P.2960であったことが考えられます。

(はつり点からピットBに向かうケーブル管路と、そこにたまっている水位O.P.2960の汚染水)
ピットBにはこの写真のように、3/27もしくは3/28にはO.P.2960付近まで汚染水がたまっていたはずです。ただし、ピットBの下部にはひびが入ったり穴が開いていないという前提です。

(東電HP 写真・動画集より)
そして、東電が主張するようにO.P.2500~O.P.3200の高さで幅110cmのケーブル管路がピットBからピットAに向かってあるならば、さきほどのはつり点と同様に水面から20cmほどはケーブル管路が顔を出しているはずです。ところが、写真の右側の壁をどんなによく見てもそんなものはありませんよね。あるのは壊れた鉄筋です。ケーブル管路に必要なケーブルも一切見えません。この壁面、穴が開いていて汚染水が外に漏れたりしないのでしょうか?ひょっとして漏れているから水位が少し低いということはないのでしょうか?そちらの方が気になります。
写真で明らかになったように、ピットBからピットAに東西につながるケーブル管路は存在しません。また、もしそのような管路が仮にあれば(例えばもっと低い位置にあるためにこの写真では見えない)、ピットAには3/27か3/28には汚染水がたまっていたはずです。
とすると、(1)の条件を満たしません。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
東電の2011年4/21の報告書には「流出が確認された前日の4月1日の昼頃の時点では、スクリーン近傍の空間線量率は1.5mSv/hであることが確認されており、線量率の上昇は見られないこと及び漏洩箇所に近いピット付近では海面への流出に伴う音が聞こえていなかった」とありますので、東電が主張するようなピットBからピットAへの東西に結ぶ管路があればこの状態にはならないのです。もっと早くピットAの線量は上昇していたはずですから。
では実際はどうだったのか?ここが実は謎のままなのですが、すでに示しているように、ピットAの北側にはケーブル管路があり、その先にはスクリーン操作室があります。どこをどうたどってスクリーン操作室、さらにはピットAにつながるのかは不明ですが、流路上ははつり点の下流のピットを通じてこの管路に到達し、ピットAに流入したのが4/1もしくは4/2と考えると条件(1)をクリアする事ができるのです。
最近わかったこととして、はつり点から西に電源ケーブル管路をさかのぼると、B2と呼んでいるマンホールから北にケーブル管路がある(O.P.2800)ことがわかりました。B2の断面図が下の図ではB-B断面図です。そこから北に向かうケーブル管路にあるピット77において2011年4月に1070mSv/hの空間線量率が確認されていたということが8/2のワーキンググループ(資料4枚目、3頁)で報告されました。1000mSv/hという空間線量率は1E+06Bq/cm3レベルの汚染水がないと到達できません。ですから、ピット77まではまず間違いなく汚染水が流入していました。

(8/2のワーキンググループの資料を改変)
となると、ピット77あるいはその手前のピット78から分岐する管路があれば、それをたどって汚染水がピットAにたどりついた可能性はあります。ここについてはこれ以上は現段階ではわかりませんが、そう考えない限り他の観測事実を説明する事は不可能なのです。東電の説明(ピットBからピットAへ東西につながる管路)はすでに条件(1)を満たさないということは示しました。
では、条件(1)を満たすのはどういう時でしょうか?
先ほど書いたようなピットAの南北の断面図で考えていきましょう。下図はピットAにトレンチからの汚染水が流入する前の様子です。東電の報告によれば4/1以前は汚染水がスクリーンに滝のように流れていたということはなかったということです。

4/1から4/2にかけて、北側の管路から汚染水が流入してきました。トレンチからどのようにしてこの管路に到達したかについては情報が公開されていないのでそこは謎のまま残しておきます。しかし、これで条件(1)を説明できます。
(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。
また、下の図では砕石層への出口はピットAの北壁面の亀裂のみという仮説に基づいた説明を書いていますが、もう一つの可能性として、ピットAの北側のどこかですでに砕石層へ流出し、そこからも流れてきていた可能性も両方考えていきます。

ピットAには北側壁面に大きなクラックがあるため、汚染水はある程度たまったところで北側から外に流出し、砕石層へと流れ出します。だからピットAには深さ20cm程度(O.P.2400)までしか汚染水がたまっていなかったのです。一方で、ピットAから直接スクリーンに流出した経路もあると考えます。
スクリーンへの流出口のO.P.は正確には記載されておらず、政府事故調中間報告書資料V-10によるとだいたいO.P.1700前後です。このO.P.から考えると砕石層からしかスクリーンにはつながっていないと考えるのが普通ですが、東電HPによると、ピットA内の水を採取してCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンに流出して海に落ちるまでの水を採取して1,800,000Bq/cm3と、どちらの値も当時のトレンチの濃度そのままです。もし砕石層を通じてスクリーンに流出していると、地下水とすぐに混ざってしまい、多少は濃度が薄くなってしまうはずです。希釈されていないということは、4/2の採取サンプルは直接スクリーンに流出したと考えざるを得ません。

これで条件(2)を説明できます。
(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。
そして、4/2にピットAにコンクリートを投入しました。これにより、ピットAから直接スクリーンに流入するのはほぼ抑えられたはずです。それでも流出が止まらなかったのは、今度は砕石層からの流出がメインになっていったからです。そして、砕石層にはすでに地下水もたまっており、地下水と混ざって希釈された汚染水の流出も始まっていったのです。

翌4/3には、上流のはつり点からおがくずや高分子ポリマー、新聞紙が投入されました。これによってトレンチや管路をある程度詰まらせることには成功したのだと思います。しかし、スクリーンからの流出量は減りませんでした(少なくとも減ったという報告はないようです)。これは地下水が砕石層にわき出してきて流量をカバーしていたのだと思います。これで条件(3)を説明できます。
(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。
また、4/3のおがくず等により、トレンチから砕石層への漏洩はかなりゆっくりになったはずですが、その先の流路にある管路やピットにある高濃度汚染水はもし出口があれば低い方へ流れていくはずです。ピットAのコンクリート充填でどれだけ北からの管路をふさぐことができたのかはわかりませんが、おそらく4/2には完全には止められなくて、この管路下の砕石層にはどんどん汚染水があふれ、管路下の砕石層を通って北へも流れていったはずです。また、一部はピットAの下の砕石層で地下水と混ざってスクリーンから流出していたはずです。

4/4のトレーサーがスクリーンから流出しなかったことは、このような流路を想定するならば当然かもしれません。3/27に立て坑BでO.P.2960になっていたのに、ピットAに汚染水が到達したのが4/1以降であるならば、4/4に立て坑Bに入れたトレーサーは1日後の4/5にはまだピットAに到達しなくてもおかしくありません。まして、前日のおがくずなどによって流速が遅くなっている可能性もあるのです。この説明では、本当にそんなに長いルートがあったのか?という疑問は残りますが、東電の説明を信じて(1)を仮定するならばトレーサーが出てこなくても不思議ではありません。これで条件(4)も説明できます。
(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。

以上の仮説により、2号機スクリーンの海水Cs-137の濃度が、4/3(36,000Bq/cm3)、4/4(96,000Bq/cm3)は4/2(120,000Bq/cm3)と比べてもそれなりの濃度があることは説明できます。ピットA北壁面のクラックから砕石層を通じて北に流出した高濃度汚染水は、管路からの汚染水供給が少なくなったら逆流してスクリーンへ流れ出したのでしょう。(またはもっと上流で砕石層に流出してピットAにまで流れてきたという可能性もあります。)一方、4/5に前日の1/10以下の5,500Bq/cm3となったのはこれらの高濃度汚染水がほとんど流れきってしまったということを示していると考えられます。はつり点で新たな汚染水の供給がかなり減少してしまったので、ある程度流れてしまったらそれ以上は供給されなかったのでしょう。

これで条件(5)も説明できます。
(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。

4/5のトレーサーがスクリーンから出たこと、及び水ガラス投入によって止水できたことは特に説明するまでもないでしょう。これで条件(6)も説明できます。
(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

そして、4/5~4/6の止水により、北側の管路の砕石層がせき止められました。この止水により、管路やピットAのヒビはふさがれた可能性が高いです。砕石層への出口がピットA北壁面だけならば、これで完全に流路を止めることができました。
また、ピットAの上流ですでに管路にヒビが入っていて砕石層に流出していたケースでも、上図のように水ガラスで砕石層をせき止められた水はまわりの土壌に浸透していきました。ただし、その浸透はトレンチの水位という指標(80トンあふれてやっと1cm下がる)からすると微量であり、検出できるほどのものではありませんでした。そのため、4/7以降はトレンチの水位が上昇していったのです。これで条件(7)も説明が可能です。
(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。
以上、私の考える仮説で条件(1)~(7)を満たすことが説明できました。
この中には、不明な点がいくつか残されています。1番大きいのは具体的な流路がわからないということです。
それ以外にも、スクリーンへの流出口はピットAの内部からもあるのか、あるいは砕石層からだけなのか、という点もあります。砕石層からだけだとすると、3月時点ですでに地下水はたまっていたはずなので、どうして地下水が3月時点でこの穴から流れ出していなかったのかという疑問があります。そのため両方から流出できるようなイメージにしていますが、そもそもこの穴はヒビなのか、元々あったドレン孔なのかもわかりません。これについては永久に答が出ない問題だと思います。
また、条件(1)を満たすと条件(8)は満たすことができません。3月からの漏洩に関しては別の考え方をしないといけなさそうです。今回はそこに関しては言及しないことにします。
また、トレンチの水位を考える中で、4/6までは水位が変わらなかったことは確認しています。ということは、注水量が1日240トンならばトレンチから外に出た分も240トンになりまず。スクリーンに流出した4.3m3/時=約100トン/日と差し引き140トンがどこへ消えたのか?という疑問もまだ解消されていません。これについても未解決です。
19.東電の説明はどこに無理があるのか?
ここでは、東電が主張するような説明だとどこに無理があるか、いくつか根拠を上げておきます。
まず条件(1)が成立しないことはすでに述べました。ただ、水の流れがもっとゆっくりという可能性もあるので仮に(1)をクリアできたとしましょう。おそらく東電が1番もれた可能性があると考えているのは、おそらくはつり点の近くの海水配管トレンチと電源ケーブルトレンチの接合部でしょう。ただ、これははつり点そのものにあるため、(3)と(4)を両立させることが難しいです。また、先ほどお見せした写真では4/3時点でO.P.2960と考えて問題ない水位でしたので、この付近から漏れているとは考えにくいです。この点でも無理があります。

(政府事故調中間報告書資料V-12より)
また、はつり点からピットB、ピットAは政府事故調中間報告書資料V-11にあるような構造をしています。

政府事故調中間報告書資料V-11より
ピットBはおそらくピットAと同じサイズですので、ピットBの下端はO.P.2200よりさらに30cm低いO.P.1900です。とすると、その下の砕石層はまず間違いなく地下水に浸っています。となると、下の図のようなイメージになり、砕石層が所々で地下水に覆われている流路となります。実際には砕石層の深さは揃えてある可能性があるため、この図とは違うかもしれませんが、いずれにせよ、砕石層が地下水と接している状態になります。この状況では(7)が成立しないと思います。

海水配管トレンチと電源ケーブルトレンチの接合部から汚染水が砕石層に漏れ出たという仮定をした場合、1番問題になるのは(6)です。
政府事故調中間報告書資料V-14には、水ガラスをどのように投入したか全て記載してあります。そして、3回目と4回目についてはトレーサー(入浴剤)も薬液注入も効果がなかったとはっきり書いてあるのです。

政府事故調中間報告書資料V-14より
東電が主張するようにピットBとピットAを東西につなぐ管路があり、その下の砕石層を汚染水が通っていたならば、4番は少なくともトレーサーは出てくるはずなのです。それが効果がなかったということは、ここは汚染水が通っていたルートではないということを証明しているのです。
「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(1)」でもご紹介したように、東電や旧保安院が出す資料では4番の向きを変えています。ただ、今回の政府事故調中間報告書資料V-14は、他の資料では決して出てこなかった「スクリーン操作室(電線)管路」という言葉を記載してくれているように、この資料の信頼性はかなり高いと判断できます。また、2011年4月当時の混乱した状況ではなく、半年以上経ってから落ち着いた状態でのヒアリングによるものですから、こちらの方が信頼性は高いと思います。他の状況証拠とも合致するのは政府事故調の資料です。
当時の記者会見においても、トレーサーが出てこなかった事があるというのははっきりと述べていますので、そこも間違いありません。
全ての証拠はピットBからピットAにつながる管路は存在しなかったということを示しています。一方で、図面上にはピットBからピットAにつながる管路は存在します。東電本店は図面で判断しており、このルートで何の不都合もありませんのでその先入観から抜け出せなかったのと、説明のしやすさから考えて、そういう管路があることにしたのだと思います。
おそらく東電自身も、ピットAの北側から汚染水が来ている可能性についてはわかっていると思いますが、ではそれがどこをどうたどっているのか?ということについては図面にないのでわからないというのが実情なのだと思います。そんな曖昧な状態では記者会見にも臨めないでしょうから、1番説明がスッキリする流路を説明用に選んだのだと思います。
20.2011年4月の状態がわかると現状把握にどうつながるのか?
このシリーズを読んでくださっている人のほとんどは、はっきり言って、2011年4月当時に何が起こったのかについてはあまり興味がないでしょう。でも、ほとんどが地下にあるために何が起こっているのかほとんどわからない現状で、東電の説明が正しいのかごまかしているのかを判断するためにも、まずは2年半前に何がおこっていて、それからその後どういうことが起こっていったのかを順番に解きほぐしていかないといけないと私は思います。
もちろん、データが不足しているためにわからないことが多いです。しかし、最近になってトレンチの調査を行ってくれたために、2号機のトレンチがどうなっているのか、大体のイメージがつかめてきました。
ですから、今回お示しした仮説は完全には合っていないかもしれません。新たな情報が出てきたら修正が必要かもしれませんし、考え方の間違いがあれば是非教えていただいて修正していきたいと思います。ただ、大筋では当たっていると私は考えています。
今回作り上げた2011年4月のトレンチの状態を元に、その後いろいろ行われた工事や事故の対応を踏まえて、2011年4月以降現在までトレンチや地下水、サブドレンなどがどうなっていったのか、今後はそれを考えていきたいと思います。
今回やっと自分なりの仮説をまとめることができました。1年前に「福島第一原発2号機の謎に迫る(仮題)」でトライした時にはわからなかったことが、新たな事態の進展を受けて多くの情報が集積されてきました。
このシリーズはもう一回最後のまとめをして、それ以降は2011年4月以降の話に迫っていきたいと思います。それが今世間を騒がせている一日300トンあるいは400トン海に地下水が流出するという話を正しく理解することにもつながると思っています。
今回の話で疑問点、反論などあればぜひコメントやツイッターなどでいただければと思います。よろしくお願いいたします。
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