2011年4月のビーバー作戦を再現します その2(2011年4月2日後半)
前回の「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1(2011年4月2日前半)」の続きです。
前回は、2011年4月2日の第一報までの話をまとめました。第一報で外部に公表されたのは本当にごく一部でしたが、その時点ですでに現場と本店ではいろいろな情報を把握して、何を行うべきかを考えて手を打っていたことがわかります。今回はその後でどうなったのか、ということについてです。
2. 2011年4月2日 ピットへのコンクリート投入の失敗
前回は12時20分に見に行った人たちの情報を受けてプレス発表文を修正し、どういう対策を打つかというあたりまで書いたと思います。その続きです。
ピットにコンクリートを打設するという方針は決まったので、その準備をしながら、15時半頃に吉田所長は打設するかどうかを決断できないと言っていました。それは、打設する事によって水の流れが止まるとその分がどこかにあふれるから、それをどう対応しようか、ということを考えていたためです。結局、武黒フェローとの会話で、コンクリートを打設するしかない、という結論に至りました。
そんなときに30分前の情報としてピットAの水位情報が入ります。数10cmということでした。おそらく毎回見る人が違うために、この情報もあまりあてにはならなかったということが後にわかります。最初に見た人がピットAにあるラダー(階段)の3段目よりも少し上、という表現をしていたので、それでみんな統一してくれていたら少しは客観的に評価できただろうと思いました。
さて、16時頃になって話が動き出します。
まずはタービン建屋から汚染水が出てきたルートがほぼ特定できたことです。下の図はこの日の夕方の記者会見で配布された資料(この当時の記者会見資料は東京電力のHPにはないので、保安院関係の情報を取ってきています)なのですが、これまでわかっていた緑色の取水配管ダクトから、底版O.P.0のところを通って取水電源トレンチの底版O.P.1985の所にまでダクトがつながっていることが判明しました。そして、そこでオレンジ色の取水電源トレンチ(=電源ケーブルトレンチ)と合流していたのです。

(地震被害情報(第69報)(4月2日16時00分現在)及び現地モニタリング情報 より)
合流部の開口部は木製のベニヤのようなもので閉じているだけなので、水はいくらでも入る事ができるだろうということがわかりました。であれば、タービン建屋→トレンチ立て坑→電源ケーブル管路→ピットB→ピットA→スクリーンという漏えいルートが一番可能性が高いだろうということが大きくクローズアップされてきたのです。
この情報を受けて、武黒フェローがまた議論をリードします。以下、書きおこしを引用します。
-------------------------
武黒フェロー「そこのところまで量が多くなるけどセメント入れれば今の流量というのは、その手前かその2つのピットのところを繋げば結局水は従来からいわれているトレンチ側のところで落ち着くっていう可能性はありますね?」
吉田所長「ありますね。」
武黒フェロー「従ってやっぱり先の海に近いところのピットをやるというのが二つともやるというのが当面大事ではないでしょうか?」
吉田所長「はい、わかりました。一応、土木さんの方でコンクリが流れ出す可能性があるっていうんでとりあえず1号機脇にあるタンクに水を思いっきり吐き出して水位を下げて、その状態にしてから、どのくらいできるかわからないけど、それと並行してコンクリを入れるというのを今やろうかなと思っているんですが、いずれにしてもコンクリを注入するということでよろしいでしょうか。」
武黒フェロー「はい、お願いします。あと土嚢が使えればそれも考えてみてもいいんじゃないでしょうか。」
吉田所長「土嚢ね。はいわかりました。ちょっと工夫してみます。ただピット内はけっこう電線配管が入っているんで土嚢を上から入れてもうまく下にいかないっていうのはご理解してください。」
武黒フェロー「それは十分理解します。ないよりましだろうという話ですね。」
吉田所長「はい。じゃあ悪いけど復旧班と水出し班、土木班、ちょっと今の方向でやってください。それからピットの水を捨てるのは線量高いからさ、これも十分に気をつけないと、そこは本当にできるかどうかも含めて場所も含めて考えてまずはコンクリートを入れてみて、一番海側、コンクリート、ダメだったら考えるってどうだ?悪いけど土木屋さんと工夫してコンクリートをまず注入して止められるかどうかがんばってみてくれないか?よろしくお願いします。」
-------------------------
吉田所長はピットBに入れてもコンクリートが固まる前に流れてしまうことを心配してピットAに先にコンクリートを打設することを考えていました。しかし本店との議論の結果、まずはピットBに汚染水があふれない程度にコンクリートを入れて、ある程度下流に行く水をせき止めておいてからピットAにもコンクリートを打設するという事になりました。
そして、16時25分頃、ピットBに深さ2/3くらいコンクリートを打設しました。5m3のコンクリートを練ってそのうち3m3ほどをピットBに入れ、残りの2m3をピットAに注入しました。この情報は、18時30分から行われた定例の記者会見(リンク先はログイン必要)においても質疑に答える形で当時の記者会見担当になったばかりの松本さんが発表していました。
ピットBは、コンクリート打設前はこのような感じでした。

(東京電力HP 写真・動画集 より)
それが、打設後にはこんな感じになりました。正確には、この写真は2回目の打設のあとの写真なので、1回目の打設後のピットBの写真は公開されていません。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
一方、ピットAの写真です。まず、コンクリートを打設する前の写真として、今回は東電HPに掲載のものではなく、保安院が公開した写真を示します。

16:25からの一回目のコンクリート打設で、ピットBだけでなくピットAにも2m3のコンクリートを打設したということで、その時の画像が東京電力のHPに公開されています。

(東京電力HP 写真・動画集 より)
1回目のコンクリート打設終了後の情報としてTV会議ではこんな情報がありました。
吉田所長「さっきBにちょっと入れた時にコンクリートを入れ始めた時に流出水がちょっと濁ってコンクリートが流出した可能性があるんで、そういう意味では水道(みずみち)としてはこのダクトからヒビを伝って海に出ている可能性が極めて強いというのがちょっとわかったらしいです。」
吉田所長「ただ、このピットとも電線管、下にも瓦礫、いろんなものが落ちておってそこにコンクリートたらし込んでいるんだけども、十分な止水効果があるかどうか今土木屋さんの間としては若干悲観的な見方をしておりますので、それも合わせてお伝えしておきます。」
TV会議のメンバーは、流出水が濁ったというピットBからピットAにいたるルートを通じて汚染水がスクリーンに流出している可能性が高いという情報によって、工夫すれば止められるはずだ、という印象を持ったとともに、瓦礫や電線管があるので簡単には止められないのではないか?という懸念も同時に抱いたであろう事が予想されます。
その後、何時にどこのピットにコンクリートを投入したかという情報を全体で共有して、18時30分からの記者会見でプレス発表する旨の連絡がありました。
念のために、ピットBとピットAの位置関係をもう一度示しておきます。下の図で赤丸のついているところにコンクリートを流し込むという計画でした。

(東電福島原発事故調査・検証委員会 中間報告書資料V-11より)
当初は2回目のコンクリート打設は18時頃からの予定だったので、18時30分からの記者会見までに一報を入れられるようであれば連絡する手はずだったのですが、2回目のコンクリート打設は1回目とは異なり、水をまぜるステップが余計に入っていたために19時頃になることが判明しました。
そして、夕方の記者会見も始まったあとの19時2分、2回目のコンクリートの投入が行われます。今回はピットAに入れてからピットBの打設を行いました。ただ、ピットBの打設の途中で作業員のAPDのアラームが鳴り出したということで作業を中止しました。そのためにピットBのコンクリート打設は途中で終わってしまったのです。
1年前から、なぜピットBに先にコンクリートを入れたのかは謎でしたが、今回のTV会議の情報から、上流側のピットBに先にコンクリートを入れて流れをせき止めてからピットAにコンクリートを入れるという作戦であったことがわかりました。
今年の2月に公開された写真ではむしろピットAに先に入れたように見えました。そのため、私は「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(1)」においてピットAを先に入れてピットBをあとに入れたのだ、と判断しました。これも結果的には間違った推論でした。
公開されている情報や写真を見ていただけではこのあたりの詳細な事情はわかりませんでしたが、TV会議の情報を合わせると初めてその時に何が起こっていたのかわかった一例です。
2回目のコンクリート打設によって、ピットAは完全に平らになるまでコンクリートを投入されました。写真をみてもそれがわかります。この写真は19:13というタイムスタンプがついています。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
翌朝(4/3)の朝の写真です。ピットAは完全に平らになっていますが、ピットBはまだコンクリートでは完全には埋まっていないことがわかると思います。これは先ほど述べたように、作業員のAPDが鳴ったために途中で作業を中断してしまったからです。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
2回目のコンクリート打設後の報告はTV会議ではどうなっていたのでしょうか。まず、19時13分にピットAのコンクリート打設が終了したという連絡がありました。しかし、水の流れそのものは止まっていないという報告も同時に入ってきていました。
19時30分にはピットBのコンクリート打設を途中で中止した旨の報告がありましたが、水の流出状況には変化はありませんでした。その報告を受けてすぐに、TV会議では次の対策を考え始めます。
3. 上流の天板を開けて高分子ポリマーなどを注入する作戦
(1) 作戦の立案(4月2日)
まず吉田所長が、今回の失敗は事前にある程度懸念されていた通り、瓦礫が下にあったり電線管そのものが邪魔をしていたため、コンクリートで有効に埋められなかった可能性が高いと発言します。そして、ピットBのさらに上流にある電源ケーブルトレンチと海水配管トレンチの合流する部分の天板に穴をあけて、電線管の入口からコンクリートか何かを流し込んだらどうだろうと提案しました。

上の図でいうと、右側の図で赤丸をつけた「はつり点」というところのコンクリートをはつって穴を開けて、そこからピットBにつながる電線管路を何かで止水しようという考え方です。
それに対し武黒フェローが、今回やってみたけどモルタルを流すだけでは勢いのある水をふさぐというのは難しいのではないか、と否定的な見解を示します。しかし吉田所長は、この部分には瓦礫が一切ないことがメリットであると反論します。
この部分はもともとコンクリートの天板があるために塞がっていて、津波の時の瓦礫などは一切ありません。だから、この日のような失敗はないだろうというのが吉田所長の考え方です。うまくこの電線管路さえ詰まらせてしまえば止められるのではないか、ということで、その具体的なアイデアを考えようということになりました。
そしてTV会議には出てこない部分で担当者同士が打ち合わせた結果、夜10時頃からの公開部分には、後の記者会見資料にも出てきたような資料を用いて翌4/3の作戦が議論されました。

(テレビ会議録画映像の開示(第2回) 本108-1(リンクを押すと9.5MBのZIPファイルをダウンロードします) より)
天板のコンクリートをはつって穴を開けたあとに、高分子ポリマーを投入し、その後コンクリートを打設するというスケジュール案が議論されています。

(東電福島原発事故調査・検証委員会 中間報告書資料V-11より)
ただ、今回詰まらせようとしている電線管路は、上の図のような5列3段の穴で、一つ一つの管路の穴は直径が10cm程度のものです。この管路の中を電線が通っています。そのため、高分子ポリマーをいきなり流し込んでも効果があるのかどうか疑問もあったため、予備の方法としておがくずを入れるという案も考案されています。普通の人はおがくずと聞くとえっ、そんなものを使うの?となるのですが、土木の専門の人にとっては結構実際的な手段のようなのです。
このTV会議の議論を読んでいると、ダムの水漏れとか、復水器のチューブでリークが発生した時にどういう対応をすると一番効果があるか、ということで、おがくずは膨張性があるため結構実際に使われている実績があるようです。他にも新聞紙を切って入れるとか、そういう案も考えられていたようです。
ピットBやピットAにもポリマーかおがくずを入れるということが検討されましたがコンクリート打設終了後の状況を写真で見て、これではピットBやピットAに何か入れるのは無理だという判断になりました。
なお、この時にスクリーンからの流出口の写真も示されたようで、2回目のコンクリート投入前は茶色だった流出水が、投入後はかなり透明になって色の変化はあったという報告がされています。ただし、水量の変化はほとんどありませんでした。16時25分の時にも同様の事が報告されており、ピットにコンクリートを投入することにより、ピットからの流出が抑えられたということは間違いないと考えられました。この事は後に考察したいと思います。
こうして、4月2日は何の成果もあげられなかったものの、翌日の段取りがほぼ決まって終わったのでした。
この日の23:08分から記者会見(リンク先はニコニコ動画:ログイン必要)が開催されてまた松本さんが説明しています。ただし、この会見では翌日に高分子ポリマーを投入するという話がメインとなっており、質疑もそれを中心に行われています。再度見直しましたが、この時の情報でこれは、と思える情報はありませんでした。
次回は4月3日のできごとについてまとめようと思います。次回もご期待下さい。
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「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1(2011年4月2日前半)」へ
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その3(2011年4月3日)」へ
前回は12時20分に見に行った人たちの情報を受けてプレス発表文を修正し、どういう対策を打つかというあたりまで書いたと思います。その続きです。
ピットにコンクリートを打設するという方針は決まったので、その準備をしながら、15時半頃に吉田所長は打設するかどうかを決断できないと言っていました。それは、打設する事によって水の流れが止まるとその分がどこかにあふれるから、それをどう対応しようか、ということを考えていたためです。結局、武黒フェローとの会話で、コンクリートを打設するしかない、という結論に至りました。
そんなときに30分前の情報としてピットAの水位情報が入ります。数10cmということでした。おそらく毎回見る人が違うために、この情報もあまりあてにはならなかったということが後にわかります。最初に見た人がピットAにあるラダー(階段)の3段目よりも少し上、という表現をしていたので、それでみんな統一してくれていたら少しは客観的に評価できただろうと思いました。
さて、16時頃になって話が動き出します。
まずはタービン建屋から汚染水が出てきたルートがほぼ特定できたことです。下の図はこの日の夕方の記者会見で配布された資料(この当時の記者会見資料は東京電力のHPにはないので、保安院関係の情報を取ってきています)なのですが、これまでわかっていた緑色の取水配管ダクトから、底版O.P.0のところを通って取水電源トレンチの底版O.P.1985の所にまでダクトがつながっていることが判明しました。そして、そこでオレンジ色の取水電源トレンチ(=電源ケーブルトレンチ)と合流していたのです。

(地震被害情報(第69報)(4月2日16時00分現在)及び現地モニタリング情報 より)
合流部の開口部は木製のベニヤのようなもので閉じているだけなので、水はいくらでも入る事ができるだろうということがわかりました。であれば、タービン建屋→トレンチ立て坑→電源ケーブル管路→ピットB→ピットA→スクリーンという漏えいルートが一番可能性が高いだろうということが大きくクローズアップされてきたのです。
この情報を受けて、武黒フェローがまた議論をリードします。以下、書きおこしを引用します。
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武黒フェロー「そこのところまで量が多くなるけどセメント入れれば今の流量というのは、その手前かその2つのピットのところを繋げば結局水は従来からいわれているトレンチ側のところで落ち着くっていう可能性はありますね?」
吉田所長「ありますね。」
武黒フェロー「従ってやっぱり先の海に近いところのピットをやるというのが二つともやるというのが当面大事ではないでしょうか?」
吉田所長「はい、わかりました。一応、土木さんの方でコンクリが流れ出す可能性があるっていうんでとりあえず1号機脇にあるタンクに水を思いっきり吐き出して水位を下げて、その状態にしてから、どのくらいできるかわからないけど、それと並行してコンクリを入れるというのを今やろうかなと思っているんですが、いずれにしてもコンクリを注入するということでよろしいでしょうか。」
武黒フェロー「はい、お願いします。あと土嚢が使えればそれも考えてみてもいいんじゃないでしょうか。」
吉田所長「土嚢ね。はいわかりました。ちょっと工夫してみます。ただピット内はけっこう電線配管が入っているんで土嚢を上から入れてもうまく下にいかないっていうのはご理解してください。」
武黒フェロー「それは十分理解します。ないよりましだろうという話ですね。」
吉田所長「はい。じゃあ悪いけど復旧班と水出し班、土木班、ちょっと今の方向でやってください。それからピットの水を捨てるのは線量高いからさ、これも十分に気をつけないと、そこは本当にできるかどうかも含めて場所も含めて考えてまずはコンクリートを入れてみて、一番海側、コンクリート、ダメだったら考えるってどうだ?悪いけど土木屋さんと工夫してコンクリートをまず注入して止められるかどうかがんばってみてくれないか?よろしくお願いします。」
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吉田所長はピットBに入れてもコンクリートが固まる前に流れてしまうことを心配してピットAに先にコンクリートを打設することを考えていました。しかし本店との議論の結果、まずはピットBに汚染水があふれない程度にコンクリートを入れて、ある程度下流に行く水をせき止めておいてからピットAにもコンクリートを打設するという事になりました。
そして、16時25分頃、ピットBに深さ2/3くらいコンクリートを打設しました。5m3のコンクリートを練ってそのうち3m3ほどをピットBに入れ、残りの2m3をピットAに注入しました。この情報は、18時30分から行われた定例の記者会見(リンク先はログイン必要)においても質疑に答える形で当時の記者会見担当になったばかりの松本さんが発表していました。
ピットBは、コンクリート打設前はこのような感じでした。

(東京電力HP 写真・動画集 より)
それが、打設後にはこんな感じになりました。正確には、この写真は2回目の打設のあとの写真なので、1回目の打設後のピットBの写真は公開されていません。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
一方、ピットAの写真です。まず、コンクリートを打設する前の写真として、今回は東電HPに掲載のものではなく、保安院が公開した写真を示します。

16:25からの一回目のコンクリート打設で、ピットBだけでなくピットAにも2m3のコンクリートを打設したということで、その時の画像が東京電力のHPに公開されています。

(東京電力HP 写真・動画集 より)
1回目のコンクリート打設終了後の情報としてTV会議ではこんな情報がありました。
吉田所長「さっきBにちょっと入れた時にコンクリートを入れ始めた時に流出水がちょっと濁ってコンクリートが流出した可能性があるんで、そういう意味では水道(みずみち)としてはこのダクトからヒビを伝って海に出ている可能性が極めて強いというのがちょっとわかったらしいです。」
吉田所長「ただ、このピットとも電線管、下にも瓦礫、いろんなものが落ちておってそこにコンクリートたらし込んでいるんだけども、十分な止水効果があるかどうか今土木屋さんの間としては若干悲観的な見方をしておりますので、それも合わせてお伝えしておきます。」
TV会議のメンバーは、流出水が濁ったというピットBからピットAにいたるルートを通じて汚染水がスクリーンに流出している可能性が高いという情報によって、工夫すれば止められるはずだ、という印象を持ったとともに、瓦礫や電線管があるので簡単には止められないのではないか?という懸念も同時に抱いたであろう事が予想されます。
その後、何時にどこのピットにコンクリートを投入したかという情報を全体で共有して、18時30分からの記者会見でプレス発表する旨の連絡がありました。
念のために、ピットBとピットAの位置関係をもう一度示しておきます。下の図で赤丸のついているところにコンクリートを流し込むという計画でした。

(東電福島原発事故調査・検証委員会 中間報告書資料V-11より)
当初は2回目のコンクリート打設は18時頃からの予定だったので、18時30分からの記者会見までに一報を入れられるようであれば連絡する手はずだったのですが、2回目のコンクリート打設は1回目とは異なり、水をまぜるステップが余計に入っていたために19時頃になることが判明しました。
そして、夕方の記者会見も始まったあとの19時2分、2回目のコンクリートの投入が行われます。今回はピットAに入れてからピットBの打設を行いました。ただ、ピットBの打設の途中で作業員のAPDのアラームが鳴り出したということで作業を中止しました。そのためにピットBのコンクリート打設は途中で終わってしまったのです。
1年前から、なぜピットBに先にコンクリートを入れたのかは謎でしたが、今回のTV会議の情報から、上流側のピットBに先にコンクリートを入れて流れをせき止めてからピットAにコンクリートを入れるという作戦であったことがわかりました。
今年の2月に公開された写真ではむしろピットAに先に入れたように見えました。そのため、私は「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(1)」においてピットAを先に入れてピットBをあとに入れたのだ、と判断しました。これも結果的には間違った推論でした。
公開されている情報や写真を見ていただけではこのあたりの詳細な事情はわかりませんでしたが、TV会議の情報を合わせると初めてその時に何が起こっていたのかわかった一例です。
2回目のコンクリート打設によって、ピットAは完全に平らになるまでコンクリートを投入されました。写真をみてもそれがわかります。この写真は19:13というタイムスタンプがついています。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
翌朝(4/3)の朝の写真です。ピットAは完全に平らになっていますが、ピットBはまだコンクリートでは完全には埋まっていないことがわかると思います。これは先ほど述べたように、作業員のAPDが鳴ったために途中で作業を中断してしまったからです。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(69)) より)
2回目のコンクリート打設後の報告はTV会議ではどうなっていたのでしょうか。まず、19時13分にピットAのコンクリート打設が終了したという連絡がありました。しかし、水の流れそのものは止まっていないという報告も同時に入ってきていました。
19時30分にはピットBのコンクリート打設を途中で中止した旨の報告がありましたが、水の流出状況には変化はありませんでした。その報告を受けてすぐに、TV会議では次の対策を考え始めます。
3. 上流の天板を開けて高分子ポリマーなどを注入する作戦
(1) 作戦の立案(4月2日)
まず吉田所長が、今回の失敗は事前にある程度懸念されていた通り、瓦礫が下にあったり電線管そのものが邪魔をしていたため、コンクリートで有効に埋められなかった可能性が高いと発言します。そして、ピットBのさらに上流にある電源ケーブルトレンチと海水配管トレンチの合流する部分の天板に穴をあけて、電線管の入口からコンクリートか何かを流し込んだらどうだろうと提案しました。

上の図でいうと、右側の図で赤丸をつけた「はつり点」というところのコンクリートをはつって穴を開けて、そこからピットBにつながる電線管路を何かで止水しようという考え方です。
それに対し武黒フェローが、今回やってみたけどモルタルを流すだけでは勢いのある水をふさぐというのは難しいのではないか、と否定的な見解を示します。しかし吉田所長は、この部分には瓦礫が一切ないことがメリットであると反論します。
この部分はもともとコンクリートの天板があるために塞がっていて、津波の時の瓦礫などは一切ありません。だから、この日のような失敗はないだろうというのが吉田所長の考え方です。うまくこの電線管路さえ詰まらせてしまえば止められるのではないか、ということで、その具体的なアイデアを考えようということになりました。
そしてTV会議には出てこない部分で担当者同士が打ち合わせた結果、夜10時頃からの公開部分には、後の記者会見資料にも出てきたような資料を用いて翌4/3の作戦が議論されました。

(テレビ会議録画映像の開示(第2回) 本108-1(リンクを押すと9.5MBのZIPファイルをダウンロードします) より)
天板のコンクリートをはつって穴を開けたあとに、高分子ポリマーを投入し、その後コンクリートを打設するというスケジュール案が議論されています。

(東電福島原発事故調査・検証委員会 中間報告書資料V-11より)
ただ、今回詰まらせようとしている電線管路は、上の図のような5列3段の穴で、一つ一つの管路の穴は直径が10cm程度のものです。この管路の中を電線が通っています。そのため、高分子ポリマーをいきなり流し込んでも効果があるのかどうか疑問もあったため、予備の方法としておがくずを入れるという案も考案されています。普通の人はおがくずと聞くとえっ、そんなものを使うの?となるのですが、土木の専門の人にとっては結構実際的な手段のようなのです。
このTV会議の議論を読んでいると、ダムの水漏れとか、復水器のチューブでリークが発生した時にどういう対応をすると一番効果があるか、ということで、おがくずは膨張性があるため結構実際に使われている実績があるようです。他にも新聞紙を切って入れるとか、そういう案も考えられていたようです。
ピットBやピットAにもポリマーかおがくずを入れるということが検討されましたがコンクリート打設終了後の状況を写真で見て、これではピットBやピットAに何か入れるのは無理だという判断になりました。
なお、この時にスクリーンからの流出口の写真も示されたようで、2回目のコンクリート投入前は茶色だった流出水が、投入後はかなり透明になって色の変化はあったという報告がされています。ただし、水量の変化はほとんどありませんでした。16時25分の時にも同様の事が報告されており、ピットにコンクリートを投入することにより、ピットからの流出が抑えられたということは間違いないと考えられました。この事は後に考察したいと思います。
こうして、4月2日は何の成果もあげられなかったものの、翌日の段取りがほぼ決まって終わったのでした。
この日の23:08分から記者会見(リンク先はニコニコ動画:ログイン必要)が開催されてまた松本さんが説明しています。ただし、この会見では翌日に高分子ポリマーを投入するという話がメインとなっており、質疑もそれを中心に行われています。再度見直しましたが、この時の情報でこれは、と思える情報はありませんでした。
次回は4月3日のできごとについてまとめようと思います。次回もご期待下さい。
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