2011年4月のビーバー作戦を再現します その4(2011年4月4日)
東京電力が音声の一部をピー音で隠して公開したTV会議の動画と、メディア限定で閲覧出来るようにしているTV会議の動画情報をもとに、11月からこれまで検証してきた2011年4月の2号機からの漏洩事故について再度振り返るシリーズを書いてきています。
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1(2011年4月2日前半)」
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その2(2011年4月2日後半)」
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その3(2011年4月3日)」
今回は「その4」として主に4月4日の話を書こうと思います。
4. トレーサー実験(通称バスクリン作戦)の結果について
本日は4月4日のTV会議の情報と、この日の夕方に行われた5、6号サブドレンからの低レベル汚染水放出と、集中廃棄物処理建屋からの低レベル汚染水放出の話を書いていきます。
この日は、まず前日に決まった色水をトレーサーとして用いるテストを行いました。朝の7時8分にバスクリン13kgを立て坑Bから投入しました。前日(4月3日)の議論では、4/3に天板に穴を開けたあたりにトレーサーを流して確認するという案があったのですが、検討した結果、さらに上流のトレンチの立て坑Bからの投入になりました。

上の図を見ていただければわかりますが、当初は緑色の海水配管トレンチと黄色の電源ケーブルトレンチの合流点におがくずなどを投入したので、そこにトレーサーを投入する予定でした。なぜならば、4月3日の努力もむなしく、スクリーンからの流出量は一切変わらず、しかもおかくずが滞留している状況で流れがあるように見えなかったからです。このことから、本当にこの合流点→ピットB→ピットA→スクリーンへの流出という経路が存在するのだろうか?という疑問が出てきていたのです。おがくずを投入した地点から色水を流してそれがスクリーンに出てくれば確かにこの経路が生きている事になります。
しかし、実際にバスクリンが投入されたのはさらに上流の立て坑Bでした。これは、立て坑Bからトレーサーを入れてみて、もしコンクリートをはつった合流地点に色水が来ないで下流のスクリーンの流出口から色水が出てくるようなことがあれば別のバイパスがあることも確認できるという目論見からでした。しかし、結果としてはスクリーンの流出口からは色水は一切流れてきませんでした。
夜の19時30分からの全体会議において、以下のような説明がなされています。TV会議の書きおこしから引用します。
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(1F)「はい、通称バスクリン作戦です。取水口から約50m上流側にある立て坑から、バスクリン13kg投入しましたが、水の色及び量の変化はありませんでした。また、昨日投入したおがくずも、流れ出すような形跡はありませんでした。だから、今日のバスクリン作戦の結果、この当初考えていたトレンチなどから、漏えいのパスがあると言うことは可能性としては非常に低いというふうに判断しました。しかし、漏えいする量がずっと一定していると言うことは、皆さんが写真、画面で見ていただいた通り、かなり勢いよく出ているということでですね。我々はこのトレンチの下、ピットの下とか大体敷石という砂利がよく敷かれているといった施工をとりますので、この部分にルート、パスがあるんじゃないかということでですね、明日ここの部分の地質を強化するといった作業を今計画しています。作業について説明します。」
--------------------------------
この部分、私には理解ができないことがあります。バスクリン作戦の結果、水の色に変化がなかったから、当初考えていたトレンチから海に漏えいしている可能性は低いと考えるという点はその通りですし、砕石層などの敷石の部分を水が流れていったのではないか、という想定も後日の結果を見ればその通りです。
しかし、その砕石層に流れ出た汚染水はどこから来たのか?そこの部分についての明確な説明も議論もありません。もちろんこの時点でわかるはずがないのですが、立て坑Bという大元にトレーサーを入れたのに何も水が出てこないとなると、今流出している水はどこから来て砕石層に流出したのかという疑問が当然出てくるはずです。
これまでのTV会議の議論を見ている限り、東京電力の現場はそれなりに合理的に考えて対応を取ってきていますので、誰もこの事に気がつかないはずはありません。しかしながら、なぜかこの点については誰も疑問を呈していないのです。残念ながら、この点についてはTV会議でも答は得られませんでした。
今回いろいろな資料を見直していて一つだけカギになりそうな資料を見つけました。前回(「その3」)も示した写真なのですが、2013年2月に東京電力が公開した2000枚の資料の中にあるものです。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(72)) より)
これはダウンロードして72-018という写真のプロパティをみたらわかりますが、写真のタイムスタンプや機種名などが情報として入っています。そこには2011/4/4 10:56と書いてあるのです。

もう一枚同様の写真(拡大図)が72-019として公開されており、これもタイムスタンプが同じ4/4の10:56になっていますし、その前後の写真との位置関係と時間差を考えても矛盾がないので、以下はこの情報が正しい(東京電力が書き換えていない)という前提で考えます。
4月3日の夕方におがくずに大量に水を加え、水を吸わせて沈ませようということで2.5トンの水をショベルカーで注ぎ込み、バイブレーターで混ぜるという作業を行ったはずなのですが、翌日にはこれだけおがくずが残ってしまっています。よく見ると、おがくずの中にも水で濡れている部分と乾いている部分があることがわかります。
となると、4月4日の時点では、立て坑Bからこの合流地点まではあまり汚染水が流れてきていないということになります。後に東京電力が出した報告書によると、この時期には1時間に4.3トン、すなわち1日約100トン=100m3もの汚染水が流出しています。これまでの考えでは、タービン建屋→トレンチ→立て坑B→合流地点→ピットB→ピットAというルートで汚染水が流出していたはずです。
1時間に4.3m3という流速ならば、この合流地点はかなり広い幅(2m程度)あったと思いますが、水位が50cmということから計算すると、ここにおがくずなり新聞紙なり何か浮かぶものを置いたとしたら、1時間に4.3mは流れる計算になります。つまり1分で7cm。しばらく見ていたら動くのがわかる程度の流量はあったはずです。しかしながら、4月3日の時点でおがくずを投入しても、水が流れていっているとかおがくずが動いているという証言は一切ありませんでした。
ということは、4月2日の証言と合わせて考えると、合流地点→ピットB→ピットA→スクリーンというルートは、4月2日時点で存在したことはほぼ間違いない(吉田所長の発言から)が、同日のコンクリート投入によってほとんどふさがれた可能性が高いと考えるのが妥当だと思います。そのために4月3日のおがくずや高分子ポリマー投入は意味がなかったのでしょう。
そして、おがくずは滞留していて流れていないという証言と、あの写真が4/4の朝に撮られたということであれば、4月4日の時点では、立て坑Bから合流地点までの水の流れはもうほとんどなかったのだと思います。だからこそ立て坑Bに入れたバスクリンが一切出てこなかったのでしょう。
では、4月3日以降にスクリーンから流出していた1日100トンの水はどこから来たのか?4月5日~6日の止水作業によって流出が止まったことから、管路の下の砕石層を通っていたということはほぼ間違いないと思いますが、そのさらに上流はどこから?という答は出ていません。最後にいろいろな疑問を検討する際に再度この疑問を取り上げようと思いますが、この謎は答えが出ないまま終わってしまうかもしれません。
5. 2011年4月初めの汚染水全体の状況について
ここから先は、主に政府事故調の中間報告書の第V章と、東京電力の「福島原子力事故調査報告書」を中心にして振り返ってみたいと思います。
(1) 概略
まず、お忘れの方も多いと思いますので、この2011年4月初めの2号機スクリーンからの高濃度汚染水の海洋漏洩事故の対応中に行われた、4月4日から4月10日にわたって放出された「低レベルの滞留水などの海洋放出」について概略を述べておきます。
2011年4月4日16時に、東京電力は「集中廃棄物処理施設内に溜まっている低レベルの滞留水(約1万トン)と、5号機および6号機のサブドレンピットに保管されている低レベルの地下水(延べ1,500トン)」を保安院の許可を得たら海洋に放出すると発表しました。
その後、18時30分に再び記者会見を行い、当日の午後7時から放出すると発表します。
実際の放出は4月4日の午後7時から行われました。量が多いため、5,6号のサブドレンの水が放出完了したのは4月9日、集中廃棄物処理施設(集中RW)にある1万トンの放出が完了したのは4月10日でした。保安院の指示を受けて最終的にまとめた報告をしたのが4月15日です。その時の資料を政府事故調の中間報告書ではわかりやすくまとめてあります。
5,6号機のサブドレンの放射能

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
集中RWの放射能

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
5号機サブドレン:約950トン
6号機サブドレン:約373トン
1-4号機の集中RW:約9070トン
合計約10393トンで、放出した全放射能量は1.5×10の11乗Bq=1500億Bqでした。これは、2号機のスクリーンから流出した高濃度の放射性物質の総量4700兆Bqから比べると1/30000程度にしかすぎないことになります。
(2) 5,6号機地下への浸水
さて、なぜこのような事になったのかを時系列を追って振り返っていきます。
まずは5,6号機についてです。こちらは1-3号機とは異なり、ディーゼル発電機がかろうじて生きていたため、原子炉の冷却が無事に進められていました。6号機地下2階にある電気品室(MC室)には配電盤が設置されていて、ここから5号機の残留熱除去系ポンプに電気が供給され、5号機の原子炉内の燃料が冷却されていました。しかし、東京電力は2011年3月19日にその6号機のMC室に浸水があることを発見します。この浸水はわずかであったために拭き取って対応しました。

(政府事故調 中間報告書資料V-3 より)
ところが2日後の3月21日、今度は隣接する6号機の放射性廃棄物処理建屋(RW/B)の地下2階に床面からおよそ1.6mの高さまで水がたまっている事が確認されました。

(政府事故調 中間報告書資料V-6 より)
このことから、東京電力は6号機MC室への浸水の原因は隣の6号機RW/B地下の滞留水と判断し、3月23日に保安院に対し、6号機RW/B地下の滞留水を海洋へ放出したい旨を伝えます。ところが、表V-2に示すように、3月22日に放射性物質の濃度を測定した結果、実用炉告示濃度を超えていたため、東京電力は海洋への放出は困難であると判断しました。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
さらに、塩分濃度を測定した結果、6000ppmというデータがあったため、これは津波の海水(表V-2の注にあるように塩分濃度は30000ppmを超える)に地下水が侵入して希釈されたものと判断しました。1-4号機と同様に、5,6号機でもサブドレンの運用が停止していたため、地下水の水位が上昇して建屋内に入り込んでいたと判断しました。そこで、サブドレンの水を放出しようとしましたが、3月30日の核種分析の結果、こちらも告示濃度を超えていたため、海洋への放出はできませんでした。
ところが今度は4月3日になって、6号機RW/Bの地下2階にある高圧炉心スプレイ系ディーゼル発電機(HPCSDG)室に隣接するトレンチ内に水がたまっていることが発見されました。これも核種分析と同時におこなった塩分濃度の分析で、塩分濃度が低いことがわかり、地下水の浸入であると判断されました。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
このことから、5,6号のサブドレンの水を排水できない限り、今後も5,6号機の建屋地下に同様の浸水が起こり、原子炉冷却に重要な電気系統の機器が水没して5,6号機までも制御できなくなる危険性がクローズアップされてきたのです。
(3) 集中廃棄物処理建屋の水処理をめぐる動き
3月24日に、3号機タービン建屋地下で高濃度汚染水によって被曝をした作業員が出たことから、タービン建屋にまで高濃度汚染水があふれてきていることはわかっていました。そこで、3月27日から特別プロジェクトチームが編成されました。これは、東京電力、官邸、原子力保安院、関連メーカーも参加して毎日TV会議を通じて会議を行うものです。
下の表は1-4号機のタービン建屋地下にたまっている水の放射性物質の濃度を示したものですが、3月24日の時点で、4号機以外はかなりの濃度の高濃度汚染水がたまっていた事がわかります。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
当初この特別プロジェクトチームには、放射線遮蔽/放射性物質低減対策チーム、長期冷却構築チーム、タービン建屋排水の回収・除染チーム、環境影響評価チームの4チームでした。4月1日になると、放射線燃料取り出し・移送チームとリモートコントロール化チームの2チームが加わり、6チームとなりました。タービン建屋排水の回収・除染チームは放射性滞留水の回収・処理チームと改名されました。4月1日からは細野首相補佐官が総括リーダーとなり、統合本部の下部組織として位置づけられました。
3月27日にはタービン建屋にたまっている汚染水がさらに海に近いトレンチにまで来ていることが発見され、タービン建屋の汚染水を早くなんとかするということは重要な課題となっていました。
そこで、3月29日にタービン建屋排水の回収・除染チームは、特別プロジェクト全体会議において、集中廃棄物処理建屋(集中RW)にたまっている低濃度の汚染水約16000トンを海洋放出し、そこに1-3号のタービン建屋にたまっている高濃度汚染水を受け入れることを提案しました。それに対して、汚染水の由来について評価することと、建屋の水抜きや排水の移送方法についてスケジュールを出すように指示がありました。
3月31日、タービン建屋排水の回収・除染チームは特別プロジェクト全体会議において、告示濃度を超える汚染水を海洋に放出する際の年間の一般公衆の被曝線量を評価し、1mSv/年をした下回っていることを報告します。しかしながら、この問題については技術面や法令面以外にも政治判断も必要であるという指摘を受けます。
4月1日、特別プロジェクト全体会議において細野補佐官は、「集中RWの水の海洋への緊急排出は絶対にあり得ない」という趣旨の発言をします。それによって、この案は一度不採用となり、集中RWの水(約16000トン)を4号機タービン建屋地下に移送する準備を始めます。集中RWの水も、4号機タービン建屋の水も、どちらもそれほど高濃度汚染水ではないために同列に扱っても構わないという判断があったものと思います。
4月2日、2号機スクリーンからの高濃度汚染水の漏えいが発覚しますが、「その1」でみたように、予定通りに集中RWの水を4号機タービン建屋に移送することが決定され、同日から移送が始まります。
しかし、ここで予想外のことが起きました。4号機に移送したのに、なぜか3号機のトレンチの水位が急激に上昇したのです。

(政府事故調の中間報告書資料V-17 より)
このため、これ以上集中RWの水を4号機タービン建屋に移送すると、今度は3号機トレンチの立て坑から海に水が漏れかねないという事態になり、この移送は中止されました。
(4) 低濃度汚染水の海洋放出と関連団体への通告の遅れ
このような事態を受けて、4月4日朝のTV会議による全体会議において、吉田所長はTV会議で至急何とかして欲しいと訴えます。この部分は公開されており、113-1(注:リンクを押すと32MBのファイルをダウンロードします)で見ることができます。
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(吉田所長)「今、喫緊の課題について先にご報告します。昨日、3号機が1日で150mm位、水位が24時間で上がっているという報告がありましたが、21時間前に2550だったのが2700と15cmくらい上がっています。
これについてサイトで検討したのですが、一番考えられるのが、集中ラドの水を4号機T/B地下に移動した時に、4号機から3号機の連通箇所に移動したのではないか?これについては今図面チェック中です。
4号機の立て坑と3号機の立て坑が電線管でそこから漏れている可能性が一点、それから3号機の電気品室に水密扉があるが、地震直後に3号機のSLCを起動するため、4号機から3号機に一部ケーブルを通すために水密扉を一部開けた可能性があります。取りあえず集中ラドから4号機への送水はストップさせました。今のような問題を補修した上で再度4号機に送るかどうか確認したいと思います。
それからもう一つの可能性として、これは3号機だけでなく、5,6号機にも関連するのですが、ずっとサブドレンを止めています。サブドレンは普通は自動起動であるレベルになると排出するが、排出基準を満たさないので止めている。そうすると、地下水が建屋内に湧水として入ってくる可能性があります。特に5、6号は炉内に水を注水していないので、湧水の可能性が高い。HPCSのD/G室に流れ込んでくると、5、6号の健全性に大きな影響を与える状況になっています。
サブドレンの取扱いについて、雨水として貯めるということもあるが、そんなものを水槽を作っていられない。そんな中で手足縛られて頑張れよ、といわれても発電所は到底頑張れない。何らかの判断をしていただかないと、5,6号を含めて設備の健全性の問題になりますので、本部で検討をお願いしたい。いずれにしても、水の処理が喫緊の課題ですので、ここが処理できないと頑張りようがないのでお伝えしておきます。」
(武黒フェロー)「はい、よくわかりました。特に二つ目のサブドレンについては重要な判断をしないといけないので、この会議終了後関係者で協議をします。本店保安班、建設原子力復旧班、関係者で集まって協議をしたいと思います」
(本店)「サブドレンの件については、先日訪問した際に、重要な問題であるということは確認しておりまして、持ち帰っておって、水の調整会議などで検討組織をつくっておりますので・・・」
(吉田所長:発言を遮って)「あのね、検討組織を作るというのは結構ですが、喫緊の課題だからね。なんかせんといかんのだから!それをよく考えて欲しい。」
(本店)「はい、わかりました。申し訳ありません。」
(武黒フェロー)「あの、本部で引き取りますから。どこかでうろうろ検討するという段階ではないということは良く承知しております。」
(武黒フェロー)「それから一つ目の、タービン建屋同士がつながっているということになると、集中ラドの排水ができなくなるということになりますから、これもどういう対応をするかということは、単に4号へ送るというだけでない選択肢も含めて検討しないといけないので、これも合わせて本店側で検討したいと思います。」
(吉田所長)「はい、すいません。まずサイトで出来る事は検討してサイトでできる範囲のことはやりますから、よろしくお願いします。」
(武黒フェロー)「了解しました。」
(以下略)
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この吉田所長の迫力ある発言は、ぜひ実際に動画を見ていただきたいと思います。
その結果、この会議終了後に東京電力本店で、保安院、原子力安全委員会及び東京電力の職員は、集中RWの水及び5号機及び6号機のサブドレン水を海洋へ放出するために必要な手続上の事務作業を開始しました。
「具体的には、東京電力から経済産業省(保安院)への報告書、経済産業省(保安院)からの助言依頼に対する安全委員会の助言、東京電力の報告書に対する保安院の評価書等の作成作業が進められた。これらの作業は、東京電力本店内の同じ部屋の中で行われ、作成中の案は随時その部屋内で共有・修正された。
東京電力及び保安院は、各書類の作成作業とともに菅総理、枝野官房長官及び海江田万里経済産業大臣への説明を行い、同日15時までにこの3人の了解を得た。そして、同日15時に、経済産業省(保安院)から東京電力に対する報告要請、東京電力から経済産業省(保安院)への報告124並びに経済産業省(保安院)から安全委員会への報告及び助言要請が、いずれも同時になされたこととし、同日15時20分に、安全委員会から経済産業省(保安院)へ助言がなされ、これを踏まえ、保安院は、東京電力による海洋放出の実施について、大きな危険を回避するためにやむを得ないものと評価した。これにより、海洋放出の実施のための手続上の事務作業が完了した。」(政府事故調の中間報告書第5章 334ページより)
このように、完全に東京電力も保安院も一体化して作業を進めたことが明らかにされています。
さて、ここで一番問題になるのはこの先です。東京電力も保安院も、、4月4日午前に海洋放出のための事務作業を開始してから15時頃に菅総理らから海洋放出についての了解を得るまでの間において、国内関係機関(外務省、農林水産省、関係する自治体、漁業協同組合連合会等)、IAEA及び諸外国のいずれに対しても、汚染水の海洋放出の予定があることを伝えていませんでした。
このため、全国漁業協同組合連合会は特に激しい反発をし、東京電力に抗議文を送りました。東京電力は翌4月6日にコメントを発表し、謝罪します。
しかしながら、この時に生じた不信感は根強く、その後の東京電力の対応の悪さもあって不信感は今に至るまで払拭されていません。その結果、東京電力は汚染水の海への放出に関して聞かれると、「汚染水の海への安易な放出は行わない。海洋への放出は、関係省庁の了解なくしては行わない」ということを必ず付け加えるようになっています。これについてはハッピーさんのツイートをまとめたtogetter.com/li/543841をご覧下さい。
以上のように、4月4日は2号機からの漏えいに関する進捗はあまりなかったのですが、もう一つ汚染水という問題においては重要な低濃度汚染水の放出という判断と実施(そして通告の遅れ)がなされた日であったのでした。
最後に、関連する情報としてこの日の記者会見情報です。
2011/4/4 11:30頃~ togetter: http://togetter.com/li/119682 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 15:53頃~ togetter: http://togetter.com/li/119763 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 18:30頃~ togetter: http://togetter.com/li/119810 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 22:04頃~ togetter: http://togetter.com/li/119882 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/5 00:40頃~ togetter: http://togetter.com/li/120020
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「2011年4月のビーバー作戦を再現します その2(2011年4月2日後半)」へ
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その3(2011年4月3日)」へ
本日は4月4日のTV会議の情報と、この日の夕方に行われた5、6号サブドレンからの低レベル汚染水放出と、集中廃棄物処理建屋からの低レベル汚染水放出の話を書いていきます。
この日は、まず前日に決まった色水をトレーサーとして用いるテストを行いました。朝の7時8分にバスクリン13kgを立て坑Bから投入しました。前日(4月3日)の議論では、4/3に天板に穴を開けたあたりにトレーサーを流して確認するという案があったのですが、検討した結果、さらに上流のトレンチの立て坑Bからの投入になりました。

上の図を見ていただければわかりますが、当初は緑色の海水配管トレンチと黄色の電源ケーブルトレンチの合流点におがくずなどを投入したので、そこにトレーサーを投入する予定でした。なぜならば、4月3日の努力もむなしく、スクリーンからの流出量は一切変わらず、しかもおかくずが滞留している状況で流れがあるように見えなかったからです。このことから、本当にこの合流点→ピットB→ピットA→スクリーンへの流出という経路が存在するのだろうか?という疑問が出てきていたのです。おがくずを投入した地点から色水を流してそれがスクリーンに出てくれば確かにこの経路が生きている事になります。
しかし、実際にバスクリンが投入されたのはさらに上流の立て坑Bでした。これは、立て坑Bからトレーサーを入れてみて、もしコンクリートをはつった合流地点に色水が来ないで下流のスクリーンの流出口から色水が出てくるようなことがあれば別のバイパスがあることも確認できるという目論見からでした。しかし、結果としてはスクリーンの流出口からは色水は一切流れてきませんでした。
夜の19時30分からの全体会議において、以下のような説明がなされています。TV会議の書きおこしから引用します。
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(1F)「はい、通称バスクリン作戦です。取水口から約50m上流側にある立て坑から、バスクリン13kg投入しましたが、水の色及び量の変化はありませんでした。また、昨日投入したおがくずも、流れ出すような形跡はありませんでした。だから、今日のバスクリン作戦の結果、この当初考えていたトレンチなどから、漏えいのパスがあると言うことは可能性としては非常に低いというふうに判断しました。しかし、漏えいする量がずっと一定していると言うことは、皆さんが写真、画面で見ていただいた通り、かなり勢いよく出ているということでですね。我々はこのトレンチの下、ピットの下とか大体敷石という砂利がよく敷かれているといった施工をとりますので、この部分にルート、パスがあるんじゃないかということでですね、明日ここの部分の地質を強化するといった作業を今計画しています。作業について説明します。」
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この部分、私には理解ができないことがあります。バスクリン作戦の結果、水の色に変化がなかったから、当初考えていたトレンチから海に漏えいしている可能性は低いと考えるという点はその通りですし、砕石層などの敷石の部分を水が流れていったのではないか、という想定も後日の結果を見ればその通りです。
しかし、その砕石層に流れ出た汚染水はどこから来たのか?そこの部分についての明確な説明も議論もありません。もちろんこの時点でわかるはずがないのですが、立て坑Bという大元にトレーサーを入れたのに何も水が出てこないとなると、今流出している水はどこから来て砕石層に流出したのかという疑問が当然出てくるはずです。
これまでのTV会議の議論を見ている限り、東京電力の現場はそれなりに合理的に考えて対応を取ってきていますので、誰もこの事に気がつかないはずはありません。しかしながら、なぜかこの点については誰も疑問を呈していないのです。残念ながら、この点についてはTV会議でも答は得られませんでした。
今回いろいろな資料を見直していて一つだけカギになりそうな資料を見つけました。前回(「その3」)も示した写真なのですが、2013年2月に東京電力が公開した2000枚の資料の中にあるものです。

(東電HP 写真・動画集 (平成25年2月1日公開(72)) より)
これはダウンロードして72-018という写真のプロパティをみたらわかりますが、写真のタイムスタンプや機種名などが情報として入っています。そこには2011/4/4 10:56と書いてあるのです。

もう一枚同様の写真(拡大図)が72-019として公開されており、これもタイムスタンプが同じ4/4の10:56になっていますし、その前後の写真との位置関係と時間差を考えても矛盾がないので、以下はこの情報が正しい(東京電力が書き換えていない)という前提で考えます。
4月3日の夕方におがくずに大量に水を加え、水を吸わせて沈ませようということで2.5トンの水をショベルカーで注ぎ込み、バイブレーターで混ぜるという作業を行ったはずなのですが、翌日にはこれだけおがくずが残ってしまっています。よく見ると、おがくずの中にも水で濡れている部分と乾いている部分があることがわかります。
となると、4月4日の時点では、立て坑Bからこの合流地点まではあまり汚染水が流れてきていないということになります。後に東京電力が出した報告書によると、この時期には1時間に4.3トン、すなわち1日約100トン=100m3もの汚染水が流出しています。これまでの考えでは、タービン建屋→トレンチ→立て坑B→合流地点→ピットB→ピットAというルートで汚染水が流出していたはずです。
1時間に4.3m3という流速ならば、この合流地点はかなり広い幅(2m程度)あったと思いますが、水位が50cmということから計算すると、ここにおがくずなり新聞紙なり何か浮かぶものを置いたとしたら、1時間に4.3mは流れる計算になります。つまり1分で7cm。しばらく見ていたら動くのがわかる程度の流量はあったはずです。しかしながら、4月3日の時点でおがくずを投入しても、水が流れていっているとかおがくずが動いているという証言は一切ありませんでした。
ということは、4月2日の証言と合わせて考えると、合流地点→ピットB→ピットA→スクリーンというルートは、4月2日時点で存在したことはほぼ間違いない(吉田所長の発言から)が、同日のコンクリート投入によってほとんどふさがれた可能性が高いと考えるのが妥当だと思います。そのために4月3日のおがくずや高分子ポリマー投入は意味がなかったのでしょう。
そして、おがくずは滞留していて流れていないという証言と、あの写真が4/4の朝に撮られたということであれば、4月4日の時点では、立て坑Bから合流地点までの水の流れはもうほとんどなかったのだと思います。だからこそ立て坑Bに入れたバスクリンが一切出てこなかったのでしょう。
では、4月3日以降にスクリーンから流出していた1日100トンの水はどこから来たのか?4月5日~6日の止水作業によって流出が止まったことから、管路の下の砕石層を通っていたということはほぼ間違いないと思いますが、そのさらに上流はどこから?という答は出ていません。最後にいろいろな疑問を検討する際に再度この疑問を取り上げようと思いますが、この謎は答えが出ないまま終わってしまうかもしれません。
5. 2011年4月初めの汚染水全体の状況について
ここから先は、主に政府事故調の中間報告書の第V章と、東京電力の「福島原子力事故調査報告書」を中心にして振り返ってみたいと思います。
(1) 概略
まず、お忘れの方も多いと思いますので、この2011年4月初めの2号機スクリーンからの高濃度汚染水の海洋漏洩事故の対応中に行われた、4月4日から4月10日にわたって放出された「低レベルの滞留水などの海洋放出」について概略を述べておきます。
2011年4月4日16時に、東京電力は「集中廃棄物処理施設内に溜まっている低レベルの滞留水(約1万トン)と、5号機および6号機のサブドレンピットに保管されている低レベルの地下水(延べ1,500トン)」を保安院の許可を得たら海洋に放出すると発表しました。
その後、18時30分に再び記者会見を行い、当日の午後7時から放出すると発表します。
実際の放出は4月4日の午後7時から行われました。量が多いため、5,6号のサブドレンの水が放出完了したのは4月9日、集中廃棄物処理施設(集中RW)にある1万トンの放出が完了したのは4月10日でした。保安院の指示を受けて最終的にまとめた報告をしたのが4月15日です。その時の資料を政府事故調の中間報告書ではわかりやすくまとめてあります。
5,6号機のサブドレンの放射能

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
集中RWの放射能

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
5号機サブドレン:約950トン
6号機サブドレン:約373トン
1-4号機の集中RW:約9070トン
合計約10393トンで、放出した全放射能量は1.5×10の11乗Bq=1500億Bqでした。これは、2号機のスクリーンから流出した高濃度の放射性物質の総量4700兆Bqから比べると1/30000程度にしかすぎないことになります。
(2) 5,6号機地下への浸水
さて、なぜこのような事になったのかを時系列を追って振り返っていきます。
まずは5,6号機についてです。こちらは1-3号機とは異なり、ディーゼル発電機がかろうじて生きていたため、原子炉の冷却が無事に進められていました。6号機地下2階にある電気品室(MC室)には配電盤が設置されていて、ここから5号機の残留熱除去系ポンプに電気が供給され、5号機の原子炉内の燃料が冷却されていました。しかし、東京電力は2011年3月19日にその6号機のMC室に浸水があることを発見します。この浸水はわずかであったために拭き取って対応しました。

(政府事故調 中間報告書資料V-3 より)
ところが2日後の3月21日、今度は隣接する6号機の放射性廃棄物処理建屋(RW/B)の地下2階に床面からおよそ1.6mの高さまで水がたまっている事が確認されました。

(政府事故調 中間報告書資料V-6 より)
このことから、東京電力は6号機MC室への浸水の原因は隣の6号機RW/B地下の滞留水と判断し、3月23日に保安院に対し、6号機RW/B地下の滞留水を海洋へ放出したい旨を伝えます。ところが、表V-2に示すように、3月22日に放射性物質の濃度を測定した結果、実用炉告示濃度を超えていたため、東京電力は海洋への放出は困難であると判断しました。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
さらに、塩分濃度を測定した結果、6000ppmというデータがあったため、これは津波の海水(表V-2の注にあるように塩分濃度は30000ppmを超える)に地下水が侵入して希釈されたものと判断しました。1-4号機と同様に、5,6号機でもサブドレンの運用が停止していたため、地下水の水位が上昇して建屋内に入り込んでいたと判断しました。そこで、サブドレンの水を放出しようとしましたが、3月30日の核種分析の結果、こちらも告示濃度を超えていたため、海洋への放出はできませんでした。
ところが今度は4月3日になって、6号機RW/Bの地下2階にある高圧炉心スプレイ系ディーゼル発電機(HPCSDG)室に隣接するトレンチ内に水がたまっていることが発見されました。これも核種分析と同時におこなった塩分濃度の分析で、塩分濃度が低いことがわかり、地下水の浸入であると判断されました。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
このことから、5,6号のサブドレンの水を排水できない限り、今後も5,6号機の建屋地下に同様の浸水が起こり、原子炉冷却に重要な電気系統の機器が水没して5,6号機までも制御できなくなる危険性がクローズアップされてきたのです。
(3) 集中廃棄物処理建屋の水処理をめぐる動き
3月24日に、3号機タービン建屋地下で高濃度汚染水によって被曝をした作業員が出たことから、タービン建屋にまで高濃度汚染水があふれてきていることはわかっていました。そこで、3月27日から特別プロジェクトチームが編成されました。これは、東京電力、官邸、原子力保安院、関連メーカーも参加して毎日TV会議を通じて会議を行うものです。
下の表は1-4号機のタービン建屋地下にたまっている水の放射性物質の濃度を示したものですが、3月24日の時点で、4号機以外はかなりの濃度の高濃度汚染水がたまっていた事がわかります。

(政府事故調 中間報告書第5章 より)
当初この特別プロジェクトチームには、放射線遮蔽/放射性物質低減対策チーム、長期冷却構築チーム、タービン建屋排水の回収・除染チーム、環境影響評価チームの4チームでした。4月1日になると、放射線燃料取り出し・移送チームとリモートコントロール化チームの2チームが加わり、6チームとなりました。タービン建屋排水の回収・除染チームは放射性滞留水の回収・処理チームと改名されました。4月1日からは細野首相補佐官が総括リーダーとなり、統合本部の下部組織として位置づけられました。
3月27日にはタービン建屋にたまっている汚染水がさらに海に近いトレンチにまで来ていることが発見され、タービン建屋の汚染水を早くなんとかするということは重要な課題となっていました。
そこで、3月29日にタービン建屋排水の回収・除染チームは、特別プロジェクト全体会議において、集中廃棄物処理建屋(集中RW)にたまっている低濃度の汚染水約16000トンを海洋放出し、そこに1-3号のタービン建屋にたまっている高濃度汚染水を受け入れることを提案しました。それに対して、汚染水の由来について評価することと、建屋の水抜きや排水の移送方法についてスケジュールを出すように指示がありました。
3月31日、タービン建屋排水の回収・除染チームは特別プロジェクト全体会議において、告示濃度を超える汚染水を海洋に放出する際の年間の一般公衆の被曝線量を評価し、1mSv/年をした下回っていることを報告します。しかしながら、この問題については技術面や法令面以外にも政治判断も必要であるという指摘を受けます。
4月1日、特別プロジェクト全体会議において細野補佐官は、「集中RWの水の海洋への緊急排出は絶対にあり得ない」という趣旨の発言をします。それによって、この案は一度不採用となり、集中RWの水(約16000トン)を4号機タービン建屋地下に移送する準備を始めます。集中RWの水も、4号機タービン建屋の水も、どちらもそれほど高濃度汚染水ではないために同列に扱っても構わないという判断があったものと思います。
4月2日、2号機スクリーンからの高濃度汚染水の漏えいが発覚しますが、「その1」でみたように、予定通りに集中RWの水を4号機タービン建屋に移送することが決定され、同日から移送が始まります。
しかし、ここで予想外のことが起きました。4号機に移送したのに、なぜか3号機のトレンチの水位が急激に上昇したのです。

(政府事故調の中間報告書資料V-17 より)
このため、これ以上集中RWの水を4号機タービン建屋に移送すると、今度は3号機トレンチの立て坑から海に水が漏れかねないという事態になり、この移送は中止されました。
(4) 低濃度汚染水の海洋放出と関連団体への通告の遅れ
このような事態を受けて、4月4日朝のTV会議による全体会議において、吉田所長はTV会議で至急何とかして欲しいと訴えます。この部分は公開されており、113-1(注:リンクを押すと32MBのファイルをダウンロードします)で見ることができます。
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(吉田所長)「今、喫緊の課題について先にご報告します。昨日、3号機が1日で150mm位、水位が24時間で上がっているという報告がありましたが、21時間前に2550だったのが2700と15cmくらい上がっています。
これについてサイトで検討したのですが、一番考えられるのが、集中ラドの水を4号機T/B地下に移動した時に、4号機から3号機の連通箇所に移動したのではないか?これについては今図面チェック中です。
4号機の立て坑と3号機の立て坑が電線管でそこから漏れている可能性が一点、それから3号機の電気品室に水密扉があるが、地震直後に3号機のSLCを起動するため、4号機から3号機に一部ケーブルを通すために水密扉を一部開けた可能性があります。取りあえず集中ラドから4号機への送水はストップさせました。今のような問題を補修した上で再度4号機に送るかどうか確認したいと思います。
それからもう一つの可能性として、これは3号機だけでなく、5,6号機にも関連するのですが、ずっとサブドレンを止めています。サブドレンは普通は自動起動であるレベルになると排出するが、排出基準を満たさないので止めている。そうすると、地下水が建屋内に湧水として入ってくる可能性があります。特に5、6号は炉内に水を注水していないので、湧水の可能性が高い。HPCSのD/G室に流れ込んでくると、5、6号の健全性に大きな影響を与える状況になっています。
サブドレンの取扱いについて、雨水として貯めるということもあるが、そんなものを水槽を作っていられない。そんな中で手足縛られて頑張れよ、といわれても発電所は到底頑張れない。何らかの判断をしていただかないと、5,6号を含めて設備の健全性の問題になりますので、本部で検討をお願いしたい。いずれにしても、水の処理が喫緊の課題ですので、ここが処理できないと頑張りようがないのでお伝えしておきます。」
(武黒フェロー)「はい、よくわかりました。特に二つ目のサブドレンについては重要な判断をしないといけないので、この会議終了後関係者で協議をします。本店保安班、建設原子力復旧班、関係者で集まって協議をしたいと思います」
(本店)「サブドレンの件については、先日訪問した際に、重要な問題であるということは確認しておりまして、持ち帰っておって、水の調整会議などで検討組織をつくっておりますので・・・」
(吉田所長:発言を遮って)「あのね、検討組織を作るというのは結構ですが、喫緊の課題だからね。なんかせんといかんのだから!それをよく考えて欲しい。」
(本店)「はい、わかりました。申し訳ありません。」
(武黒フェロー)「あの、本部で引き取りますから。どこかでうろうろ検討するという段階ではないということは良く承知しております。」
(武黒フェロー)「それから一つ目の、タービン建屋同士がつながっているということになると、集中ラドの排水ができなくなるということになりますから、これもどういう対応をするかということは、単に4号へ送るというだけでない選択肢も含めて検討しないといけないので、これも合わせて本店側で検討したいと思います。」
(吉田所長)「はい、すいません。まずサイトで出来る事は検討してサイトでできる範囲のことはやりますから、よろしくお願いします。」
(武黒フェロー)「了解しました。」
(以下略)
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この吉田所長の迫力ある発言は、ぜひ実際に動画を見ていただきたいと思います。
その結果、この会議終了後に東京電力本店で、保安院、原子力安全委員会及び東京電力の職員は、集中RWの水及び5号機及び6号機のサブドレン水を海洋へ放出するために必要な手続上の事務作業を開始しました。
「具体的には、東京電力から経済産業省(保安院)への報告書、経済産業省(保安院)からの助言依頼に対する安全委員会の助言、東京電力の報告書に対する保安院の評価書等の作成作業が進められた。これらの作業は、東京電力本店内の同じ部屋の中で行われ、作成中の案は随時その部屋内で共有・修正された。
東京電力及び保安院は、各書類の作成作業とともに菅総理、枝野官房長官及び海江田万里経済産業大臣への説明を行い、同日15時までにこの3人の了解を得た。そして、同日15時に、経済産業省(保安院)から東京電力に対する報告要請、東京電力から経済産業省(保安院)への報告124並びに経済産業省(保安院)から安全委員会への報告及び助言要請が、いずれも同時になされたこととし、同日15時20分に、安全委員会から経済産業省(保安院)へ助言がなされ、これを踏まえ、保安院は、東京電力による海洋放出の実施について、大きな危険を回避するためにやむを得ないものと評価した。これにより、海洋放出の実施のための手続上の事務作業が完了した。」(政府事故調の中間報告書第5章 334ページより)
このように、完全に東京電力も保安院も一体化して作業を進めたことが明らかにされています。
さて、ここで一番問題になるのはこの先です。東京電力も保安院も、、4月4日午前に海洋放出のための事務作業を開始してから15時頃に菅総理らから海洋放出についての了解を得るまでの間において、国内関係機関(外務省、農林水産省、関係する自治体、漁業協同組合連合会等)、IAEA及び諸外国のいずれに対しても、汚染水の海洋放出の予定があることを伝えていませんでした。
このため、全国漁業協同組合連合会は特に激しい反発をし、東京電力に抗議文を送りました。東京電力は翌4月6日にコメントを発表し、謝罪します。
しかしながら、この時に生じた不信感は根強く、その後の東京電力の対応の悪さもあって不信感は今に至るまで払拭されていません。その結果、東京電力は汚染水の海への放出に関して聞かれると、「汚染水の海への安易な放出は行わない。海洋への放出は、関係省庁の了解なくしては行わない」ということを必ず付け加えるようになっています。これについてはハッピーさんのツイートをまとめたtogetter.com/li/543841をご覧下さい。
以上のように、4月4日は2号機からの漏えいに関する進捗はあまりなかったのですが、もう一つ汚染水という問題においては重要な低濃度汚染水の放出という判断と実施(そして通告の遅れ)がなされた日であったのでした。
最後に、関連する情報としてこの日の記者会見情報です。
2011/4/4 11:30頃~ togetter: http://togetter.com/li/119682 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 15:53頃~ togetter: http://togetter.com/li/119763 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 18:30頃~ togetter: http://togetter.com/li/119810 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/4 22:04頃~ togetter: http://togetter.com/li/119882 ニコ生(ログイン必要)
2011/4/5 00:40頃~ togetter: http://togetter.com/li/120020
目次 へ
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1(2011年4月2日前半)」へ
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その2(2011年4月2日後半)」へ
「2011年4月のビーバー作戦を再現します その3(2011年4月3日)」へ
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