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2011年4月のビーバー作戦を再現します その8(新たな情報を元に始める謎解き1)

 
昨年の終わりから始めた、東京電力のTV会議の情報を踏まえて2011年4月の2号機スクリーンからの漏えいに対する「ビーバー作戦」を振り返るシリーズ、今回で8回目となりました。

これまでの7回では、2011年4月2日に海洋への漏えいが発見された時から、4月6日に漏えいが止まったときまでを時系列を追って東京電力が主体となって行ってきた「ビーバー作戦」の進行状況を再現してきました。

これまで2012年の「福島第一原発2号機の謎に迫る(仮題)」シリーズで書いてきたこと、それから2013年2月に新たに公開された2000枚の写真を元に書いた「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証」シリーズで書いてきたことの中で、今回新たにTV会議動画の書きおこしを入手することによってわかり、修正をしたこともいくつかありますし、今回のTV会議によっても謎のままで残っていることもあります。

今回は、まず何が新たにわかった事実についてまとめてみて、そのあと謎解きにとりかかろうと思います。


9. 今回得られた情報で何か変わったことはあるのか?

「ビーバー作戦」を再現していく中で、私が一番知りたかったのは、東京電力としては結局どこから漏れたと判断していたのか?ということと、いつ漏れ出したと考えていたのか?ということです。

2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(6) 私の仮説」においては、公表されている事実から考えて7つの条件を満たす必要があると書きました。しかしながら、今回TV会議の情報を合わせて考えると、この7つの条件(実際にはそれに一つ加えて8つ)が変わってきていることがわかりました。

2013年夏に提示した7つの条件を再度書き出します。これらは基本的に事実関係を記載しています。いろいろなことを考えるための前提条件といったところですね。

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(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。

(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。

(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。

(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。

(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。

(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。

(8) そもそも、海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されていること。ただし、このことは今回の海洋漏えい経路と直接関係していないかもしれないため、これは必ずしも満たされなくても良いと思います。
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順番に見ていきましょう。まず(1)です。

(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。

これは、すでに「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1」でも確認したように、4/1にピットAの線量は500mSv/h、ピットBの線量は400mSv/hであるという測定結果が出ています。それ以前については報告がないため、ひょっとしたらそれ以前からピットAに流れ込んでいたかもしれません。(1)は前提条件として成立しないということが今回明らかになりました。

次に(2)です。

(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。

これについても、最後の「ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。」が違っているということは「2011年4月のビーバー作戦を再現します その1」で書きました。これは私の思い込みもあったのですが、「ピットAの水位はO.P.で約3000であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれとほぼ同じであること)。」と書き直す必要があります。

この事は、ピットBからピットAへつながる管路があるということ、そして管路の中を通じて汚染水がピットAまでは来ていたことを示しているのです。

次に(3)と(4)です。

(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。

(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。

この二つについては、事実としては変わっていません。新たな事実がわかることを期待したのですが、TV会議においても特に情報はありませんでした。


次に(5)と(6)です。

(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。

(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

ここについては、これまで特に触れてこなかったのですが、補足が必要だと思います。

(6)の方は、前回まで見てきた通り、トレーサーを入れてすぐに水が出てきたことがわかっています。ただし、細かい経緯についてはTV会議の情報によって初めてわかったこともあります。それは実際の仮説を考える段階で再度触れたいと思います。

(5)については、2号スクリーンの海水放射能の値は公表されていますが、スクリーン流入水、つまり亀裂から流出していて海に落ちる前の汚染水のデータが公表されていないことが今回わかりました。

2011年4月5日のプレスリリースでは、ちょうど3月末にパラメーターの設定を間違えたために旧保安院に怒られて、数日間データを出さなかった分も含めてまとめてデータを公表しています。下に示すのは4月2日のデータです。スクリーン流入水というのが亀裂から流出していて海に落ちる前の汚染水にあたります。

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(2011年4月2日 2号機ケーブルピットおよびスクリーン海水核種分析結果 より)

これまではご紹介してこなかったのですが、TV会議においても、この水の放射能については議論されています。そもそも4/2のデータも、保安部からサンプリングして欲しいという依頼があったものの、その後危険性が高いのでムリしてサンプリングしなくてよい、となったのですが、現場との連絡が悪かったために中止の指令が行き渡らずにサンプリングが行われたものだったのです。

そして、4/4の朝と4/5の朝にもこの水はサンプリングされています。TV会議においてはサンプリングした水を容器に入れてその表面線量を測定し、4/2は80mSv/hだったのが4/4には55mSv/h、4/5には56mSv/hという報告がされています。

その後、4/6の昼間にTV会議で4/5の実際の核種分析の結果を示して議論しています。

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(本店●●)2号機バースクリーンからの流入水関係のデータをご紹介したいと思います。これは2日の日に採った流入水でこれ昨日採った流入水です。流入水のレベルはほぼ同等と異常ない状況です。

(本店●●)それに対してバースクリーンの前のレベルは少し落ちています。ということはこれから言えるのは少し流入水の量が絞られている可能性があるということで今回止まったということですので、この後、ぜひとも、前のハッチを開けて、この格子のところを開けていくのであれば、ここで流入水がどのレベルなのかというようなサンプリングをぜひお願いしたいと思います。これを私の方から指示をしたいと思います。それと物揚場はほとんど変わっておりません。4号のバースクリーンも変わっておりません。
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この部分、気になったので再度TV会議を見てきていただいて、どんなデータを示して議論していたのかをLCMプレスに確認していただきました。すると、残念ながらグラフを示しながらの議論だったようで、測定された数字に関してはわかりませんでしたが、下に示すようなグラフを示していたということはわかりました。

下記のグラフは、こんな図を書画で示していたという図をいただいて、それに公表データを合わせてたぶんこういうデータを見せて話をしていたのだろうと私が判断したものです。具体的なデータはわかりませんが、スクリーン流入水は、4/2と4/5ではあまり大きく下がっていないということは確認できました。TV会議での表面線量のデータを裏付ける形になります。I-131は半減期が8日ですから、3日経つと約0.77倍となるため、少し下がること自体は不思議ではありません(下のグラフは縦軸が対数であることに注意)。

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(LCMプレスよりいただいた図に公表数値を入れて書き直したもの)

実は、「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(6) 私の仮説」においては、4/4以降は流入水の濃度は大きく落ちていたのではないかと推論しました。

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(2011年4月のスクリーン海水(Cs-137)のデータ:単位はBq/cm3であることに注意!)

(5)および上のグラフにあるように、2号スクリーン海水の濃度が4/4から4/5にかけて1/20近くに低下したことを説明するためには、流量が大きく低下したのか元の水の濃度が下がったのかどちらかになります。流量が大きく下がったということは公式には発表されていませんでしたので、濃度が下がったのだろうという推論を私はしましたが、今回のTV会議の情報でそれは否定された形になります。

つまり、スクリーン流入水の濃度は4/2から4/5までほとんど変わらず、4/5の2号スクリーン海水の放射性物質の濃度が下がったのは流出した汚染水の量が低下したからだということになります。

つぎに(7)です。

(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。

これも特に修正はありません。

最後に、条件としては入れませんでしたが(8)です。

(8) そもそも、海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されていること。ただし、このことは今回の海洋漏えい経路と直接関係していないかもしれないため、これは必ずしも満たされなくても良いと思います。

これは、(1)の前提条件が変わってしまいましたので、考慮する必要が出てきました。2012年に「2号機からの海洋漏洩はいつ始まったのか?(1)シミュレーションからの推定」で示しましたが、2011年3月26日から海洋への直接漏えいが始まったという状況証拠がありますので、それをどう説明するのかについても、後ほど考えていきたいと思います。

結局、赤字で書いた2、3点の修正はありましたが、それ以外はTV会議の情報を踏まえても大きくは変化がなかったということがわかりました。ただし、この前提条件の変化によって、考えるべき仮説は大きく変わってきます。


10. まとめを行うにあたり考えるべきポイント

「ビーバー作戦」は、命名は2011年の4月3日でしたが、4月2日に始まり、4月6日に終わりました。その中で、二つの考えるべきポイントがあると思います。

(A) いったいいつ漏えいが始まったのか?
(B) どこからどのように漏えいしたのか?

今回は、(A)のいったいいつ漏えいが始まったのか?ということについて考えます。これまでにも私なりの仮説を示してきていますが、今回の新しい情報を踏まえて、再度考えてみたいと思います。

(B)については、次回以降に譲ろうと思います。全てを1回で書くにはあまりにも長くなりそうですし、全ての情報に整合性のある説明をできるようになるにはかなり時間がかかると思っているからです。

場合によっては今回11.で示す内容にも次回以降に一部修正を入れるかもしれません。予めご了承ください。


11. いったいいつから漏えいしたのか?

いつから漏えいしたのか?ということについては、すでにいくつかの状況証拠で2011年3月から漏えいしているということがあげられています。2012年に書いた、「2号機からの海洋漏洩はいつ始まったのか?(1)シミュレーションからの推定」にあるように、実際の海水データを元にしたシミュレーションから2011年4月の海洋への放出はCs-137で約3.5PBq(3.5×10^15Bq=3500兆ベクレル:P(ペタ)はT(テラ)の上の単位で10の15乗を表す)であるという推定が出されています。そして、その推定によると海洋への漏えいは2011年3月26日から始まっていたと考えられるのです。

一方、東京電力が2011年4月21日にまとめた報告書では、同じくCs-137で0.94PBq(9.4×10^14Bq=940兆ベクレル)という計算になっています。この試算は4/1~4/6まで5日間(120時間)にわたって4.3m3/時間の流速で海に流出し続けたという前提での評価になっています。

2012年5月24日に東京電力が発表した海洋への放出量を発表していますが、これは上記のシミュレーションを行った電中研のデータをほぼそのまま利用しています。2011年3/26~9/30でCs-137が3.6PBqで、その内訳は3/26~3/31が1.3PBq、4/1~6/30が2.2PBqで7月以降は無視できる量です。

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(2012年5月24日 海洋(港湾付近)への放射性物質の放出量の推定結果について より)

この当時は2011年5月の3号機からの漏洩事故以降も海に汚染水が漏れ続けているということは認めない前提で情報が発表されていますので、そのあたりを頭に入れてデータを見ていく必要はありますが、東電の発表でも3月26日から31日まで1.3PBq、つまり1300兆ベクレルも(大気中からの飛散も含めて)漏洩したと認めていることは重要です。

そして、Cs-137で1.3PBqという膨大な数字を満たすためには、東電が2012年5月24日の報告書で書いたような大気からの降下ではとても足りません。3月から海洋に直接流出していると考えないと足りないのです。なんといっても、1.3PBqというのは東電が4/1~4/6に直接漏洩したとしている量(0.94PBq)よりも多いのですから。


(1)シミュレーション結果と沿岸海水データが示すこと

2号機からの海洋漏洩はいつ始まったのか?(1)シミュレーションからの推定」で紹介したように、電中研の津旨さんたちのデータでは、I-131/Cs-137比を比較するという単純なやりかたで海洋への漏えいが3月26日から始まったという推論をしています。確かに海洋モニタリングのデータを見ていくと3月26日前後から漏えいが始まったと考えることができます。シミュレーションについてはここではくり返しませんが、沿岸の測定結果は重要なデータですので、ここでも再度確認してみましょう。データの数値だけでなくI-131/Cs-137比にも注目してください。シミュレーションでは、2011年3月26日でI-131/Cs-137比が5.7であるということに注目し、海水データのI-131/Cs-137比が3月26日に5.7となり、その後減っていく直線に乗るかどうかを直接漏洩が起こったかどうかの指標にしています。

まず、5,6号放水口北(T-1)と1-4号南放水口(T-2)の測定データでI-131/Cs-137の比を確認すると、3/26のデータは、5-6号放水口北では、I-131:29000Bq/L、Cs-137:5100Bq/LでI-131/Cs-137=5.7、1-4号南放水口では、I-131:30000Bq/L、Cs-137:4800Bq/LでI-131/Cs-137=6.3と、ほぼ5.7に近い数値になっています。一方、それ以前の測定では、下に示すようにI-131/Cs-137比が5.7を上回ったり下回ったりしています。

3/25はCs-137の絶対量も10倍以上に増えているためにこの日から漏洩が始まっている可能性もあるのですが、後に述べる福島第二原発付近のデータとの兼ね合いから3/26としたのではないのでしょうか。

4/18シミュ10
3/21のデータはここ3/22のデータはここ3/23のデータはここ3/24のデータはここ3/25のデータはここ3/26のデータはここ3/27のデータはここ

一方、福島第一原発より南にある観測地点では、約10km南の福島第二原発付近は3/27から、約16km南の岩沢海岸付近は3/28から急に数値が上がると共に、I-131/Cs-137比が5.7に近くなっています。この事から考えると、3/26に福島第一原発沿岸で検出されたCs-137が10km離れた福島第二原発付近には3/27、16km離れた岩沢海岸付近には3/28に到着したことが読み取れます。

4/18シミュ9
ちなみに、3/26の福島第二原発付近のデータはこちら。3/27のデータはこちらです。岩沢海岸付近のデータはこちら、3/27のデータはこちら3/28のデータはこちらにあります。

この沿岸のデータを見る限り、日にちの経過とともにだんだん遠くの観測ポイントでI-131/Cs-137比が3/26時点で5.7のラインに乗っていくことがハッキリと読みとれるため、3/26から海洋へ汚染水が漏洩しているということは間違いないように思えます。では、今回のTV会議の情報を含めてあらゆるデータを見直してみて、別のデータからも同じ推論が言えるのかどうか、特にスクリーン海水のデータに注目して以下にもう一度整理していこうと思います。


(2) スクリーン海水データからの推定-汚染の広がりに要する時間の見積もり-

9.で整理したように、今回新たにわかった情報として、4/1にすでにピットAに500mSv/hの線量があったということがTV会議で報告されていました。そして、3/31以前の新たな情報は何もありません。

2011年4月21日の東電の報告書には「流出が発見された前日の4月1日の昼頃の時点では、スクリーン近傍の空間線量率は1.5mSv/hであることが確認されており、線量率の上昇は見られないこと及び漏洩箇所に近いピット付近で海面への流出に伴う音が聞こえていなかったことから、その時点では4月2日~6日のような形での流出が始まっていたとは想定しがたい。」という表記があります。2013年の夏にまとめた際は、この表記が正しいという前提に立って、ピットAに流れ込んできたのは4/1であるという想定をしました。

しかし、今回TV会議の書きおこしを読んでみて、4月1日に海に流れ込む音が聞こえていたかどうか、というような議論はありませんでした。また、4月2日にはいつから始まったのかわからないけど、ひょっとしたらまだはじまったばかりではないか?という会話があっただけでした。ピットAの線量が4月1日には500mSv/hに達していたということを考えると、この報告書の内容を信じる理由はないと考えます。3月から流れ出していてもおかしくはありません。

では、シミュレーションにあったように3/26から海に漏れ出していたのかと考えても良いのでしょうか?それを確認するためにCs-137の海水データに注目してみました。なぜCs-137を使うかというと、I-131は半減期が8日と短すぎるために、先ほども書いたように3日も経つと3/4に低下してしまい、1週間にもわたる比較を行うには適していないのです。

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(2011年4月のスクリーン海水(Cs-137)のデータ:単位はBq/Lであることに注意)

上の表は、先ほども示しましたが、2号機からの漏洩を受けて行われた港湾内での海水のサンプリングの結果です。それぞれの地点がどこにあたるのかを下の図に示してあります。

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たぶんこの表だけをみても何もわからないと思います。そこで、連続したデータのある物揚場、2号スクリーン、4号スクリーンのデータをグラフにしてみました。

まずは流出口のすぐ近くの2号スクリーンのデータです。Cs-137の数値(Bq/L)を折れ線グラフで左側の対数軸に、前日比でどれだけ増えたか減ったかを棒グラフで右側の軸に示しました。このグラフでは、一見4/4だけが突出して高いようにも見えますが、流出が続いていた4/6までと、流出が止まった4/7以降は条件が全く別ですので、別に考える必要があります。

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本来ならば、4/6朝までは同様に高濃度汚染水の流出が続いていたとすれば、2号スクリーンのデータはほぼ同じ値を示していてもおかしくありません。4/3に一度低下したものの4/4にまた同程度に戻ったのはそう考えると不思議ではありません。ところが、4/5には2号スクリーンのCs-137が前日比0.06倍と一気に約1/20に低下しています。4/6以降は流出が完全に停止したので、それ以降はほぼ毎日半分程度に低下しているのは納得できます。とすると、4/3に下がって4/4にまた戻り、4/5に大きく下がるというこのパターンは、2011年4月の流出の特徴的なパターンとみることができます。

高濃度汚染水の2号スクリーンへの流入量の時間変化がある特徴的なパターンを示すならば、それは2号スクリーン以外の4号スクリーンや物揚場でもこのパターンが見えるのではないでしょうか?そう思って4号スクリーンのデータを見てみました。

すると、4号スクリーンはだいたい前日比0.8程度の比率で低下していっているのですが、4/6と4/8は棒グラフを見ると明らかに他よりも低くなっているのがわかります。つまり、2号スクリーンで見えた4/3と4/5の低下のパターンが4号スクリーンでは3日遅れて出てきているととらえることができます。

こんなパターンだけでそう言えるのか?という疑問をお持ちの方もいるでしょうが、この後示す物揚場のデータと合わせて合理的に説明するのにはそう考える以外にはないのです。

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同様に、物揚場のグラフを見てみます。物揚場の場合、4/6まではCs-137の濃度が上昇し続けているのが一つの特徴です。この点についてはあとで取り上げますが、棒グラフで見ると、4/7に前日よりも下がり、4/8に一度持ち直すものの4/9には前日比でさらに大きく低下し、4/10にはまたもどるというパターンを示しています。これは、2号スクリーンあるいは4号スクリーンで見られたのと同じパターンです。ただし、物揚場の場合は4号スクリーンよりもさらに1日遅れています。

つまり、物揚場の4/7が2号スクリーンの4/3にあたり、4/9が4/5にあたるということで、2号スクリーンの変化が4日後に見えてくるということになります。

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まとめますと、ここまでのデータから、2号スクリーンでの海水のCs-137の濃度変化が4号スクリーンや物揚場にまで反映されるのは3日から4日かかるということが推定されるということです。


(3) 同様の事例での検証

でも、それでも本当だろうか、と思う方もいることでしょう。そこで、類似の事例として、2011年5月に起こった3号機スクリーンからの漏洩事故の時のデータで比較してみましょう。

今回は詳細は紹介しませんが、2011年5月の3号機からの漏洩は3号機のタービン建屋の水位が上がってしまったために起こった漏洩事故でした。3号機スクリーン近くの電源ケーブル管路を通じて、2号機のピットBとほぼ似たような位置(ただしスクリーンに対する南北の向きは異なる)にあるケーブルピットに水が流れ込み、さらにスクリーンに流れ出したのです。

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この事例は、同年4月の2号機の事故の教訓もあり、またケーブル管路の中を通って水があふれてきただけだったので、作業員が漏洩を発見した5/11のうちに停止することができました。

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この時の漏洩量の計算などは2011年5月21日にまとめられていますが、それによると5/10午前2時から5/11午後7時までの41時間流出し続けたという計算になっています。

この時には、すでに4月の2号機の漏洩事故の再発防止策としてシルトフェンスが張られていました。そして、2号スクリーン、4号スクリーンについてはシルトフェンスの内と外で毎日サンプリングが行われていましたが、5/11の3号機の漏洩事故を受けて3号機、1号機についても同様にサンプリングが行われるようになったのです。この時のサンプリング地点のイメージを示します。

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そしてこの当時の実際の測定データです。2号機の漏洩事故と同様にCs-137について示します。シルトフェンスの内側についてはシルトフェンスの影響が出てしまうので、外側のデータを見比べて欲しいのですが、漏洩2日目の5/11午後に3号スクリーンのシルトフェンス外側では1,100,000Bq/Lという高い値を示しています。

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取水口北においても、5/11の午後(5/11-2)には前日の1600Bq/Lから9200Bq/Lと跳ね上がり、5/12には13000Bq/L、5/13には21000Bq/Lと上昇しています。そして2-3日は同じ濃度に留まりますが、その後は徐々に下がって行きます。このあたりの説明は2011年に書いた「5/16 3号機からの海への汚染水流出はいまのところ止まっているようだ」をご覧下さい。

一方、物揚場はどうでしょうか?1-4号開渠から港湾内に海水が広がると、大幅に希釈されることが予想されます。また、シルトフェンスに付着することもあったでしょう。しかし、拡散速度自体はそれによって大きく落ちるわけではないはずです。

5/10から始まったとされる3号機の漏洩事故の場合、物揚場のCs-137は5/14に前日の170Bq/Lから800Bq/Lに急上昇し、5/15にもさらに2倍強の1700Bq/Lにまで上昇しました。そしてその後はさがっていっています。ということは、物揚場の5/14が3号スクリーンの5/10に相当すると考えて良いと思います。3号機の漏洩が物揚場に到達するまで4日かかるということなのです。

2011年5月の3号機の漏洩事故はいつ始まっていつ終わったかが比較的はっきりわかっていますので、同年4月の2号スクリーンからの漏洩事故を考える際に非常に参考になります。このデータを見ても、2号スクリーンの海水濃度の変化が物揚場に反映されるのに3-4日かかるというのは妥当であると判断できるのです。


(4) 汚染水のスクリーンへの漏洩はいつ始まったのか?

これまで長々とスクリーン海水や物揚場のデータをチェックしてきたのは理由があります。物揚場のようにCs-137の濃度変化が4日ほど遅れて出てくるということが確かならば、物揚場のデータから、2号スクリーンでは得られない4/2以前の情報を得ることができるからなのです。

改めて物揚場のCs-137データを確認してみましょう。これまでの検証から、4日間の遅れがあることがわかっています。とすると、4/6の物揚場のデータが2号スクリーンの4/2にあたるわけです。物揚場は4/3からしか測定していませんが、4/3以降ずっと上昇を続けています。4/3というのは4日前とすると3/30です。少なくとも3/30からは同じくらいの汚染水が2号スクリーンから漏洩していたことをこのデータは物語っています。

残念ながら3/29以前については物揚場のデータでも確認はできません。しかし、仮に同じように1.5倍前後の上昇を続けていたとすると、あと2-3日前から漏洩が始まっていたとしても不思議ではないのです。

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これらのことから、私は2号スクリーンへの汚染水の流出は、シミュレーションおよび沿岸海水データが示しているように3/26あるいは3/27頃から始まっていたのではないかと推論します。スクリーン海水や物揚場のデータから漏洩が始まった日を特定するのは残念ながら不可能です。

このスクリーン海水のデータはこれまでも何度も見てきたのですが、こういう角度で見たことはありませんでした。しかし、今回新たに一連のデータを見直してみて、スクリーン海水のデータは東電が認めている4/1よりも以前からの海への漏洩を物語っているものだと思いました。そう考えない限り、沿岸データが示しているように3/26から海中へ直接漏洩していることをどう説明するのか、別の説明が必要になってきます。

今回の私の推論は大筋では当たっているものと思います。ただし、スクリーン海水のデータだけから言えることは、少なくとも3/30以前から漏洩が始まっていたということです。そして、沿岸海水のデータと合わせて考えると、2号スクリーン付近から3/26頃に漏洩が始まったと考えるのが一番無理がない、ということです。決して、4/2に発見された流出口から同じような形での漏洩が3/26からずっと続いていたということを主張しているわけではありません。

つまり何を言いたいのかというと、こういうことです。あの流出口から出ていなくても、ピットの下の砕石層に汚染水が流れ出せば、地下水と合流し、どこか知られていないルートを通じて海へ汚染水が流出するということは2013年7月22日に東京電力が認めた事なのです。2012年に書いた「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」ですでに示しているように、少なくとも3/27以降はトレンチにたまった汚染水がどこかに流出しているのは明らかですので、砕石層を通じて何らかの形で海に流出していた可能性が高いということなのです。もちろん、4/2に見つかった流出口から流れ続けていた可能性もあります。

それについては、次回「(B) どこからどのように漏えいしたのか?」を考えるときに一緒に考えてみたいと思います。


なお最後に、今回の検証にうまく使えなかったのですが、TV会議にはこんな話もありました。

2011年3月25日と4月7日に2号機原子炉建屋の大物搬入口の出口あたりから水が流れ出した後が見つかりました。その水の流れた跡は、側溝に流れていったようでした。しかし、発見時には2回ともすでに乾いており、その表面線量は50mSv/hとかなり高いものでした。これについてはおしどりマコさんが昨年11月25日に質問しているのですが、東電からは何の実質的な回答も得られなかったそうです。

もし原子炉建屋から建屋の外へ漏洩があったとすれば、かなり高線量の水、つまりは高濃度汚染水であったと考えられます。どれくらいの量かということについてはわかりませんし、一過性の漏洩だったようですが、ひょっとしたら、3月26日のT-1あるいはT-2ポイントのCs-137の上昇に関係していたかもしれません。情報が少なすぎてこれ以上の判断はできませんが、昨年12月にわかった排水路情報としてK排水路あるいは物揚場排水路に流れ込んだ可能性があります。

今回はここまでとします。次回をお楽しみに。

 
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3.11では、停電・断水のため、一晩避難所で過ごし、震災後の情報収集をきっかけにブログを始めました。
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