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2011年4月のビーバー作戦を再現します その11(最後のまとめ)  

 
2013年の終わりから始めた、東京電力のTV会議の情報を踏まえて2011年4月の2号機スクリーンからの漏えいに対する「ビーバー作戦」を振り返るシリーズ(目次はこちら)、今回で11回目となりました。実際には、これ以外に番外編として2回ほど、現在の護岸エリアの話を書いています。


これまで最初の7回では、TV会議の書きおこしにもとづいて、2011年4月2日に海洋への漏えいが発見された時から、4月6日に漏えいが止まったときまでを時系列を追って東京電力が主体となって行ってきた「ビーバー作戦」の進行状況を再現してきました。

そして、第8回では、まず新たにわかった事実についてまとめ、漏洩がいつから始まったのかということを考えてきました。その結果、スクリーン海水、沿岸データなどを合わせて考えると、東電が認めている4月1日以降ではなく、3月26日前後から2号スクリーン付近で海への漏洩が始まったと考えないと説明がつかないデータが多いことが明らかとなりました。

第9回では、流出口の高さについて、これまで疑問に思っていたことを細かく検証してみました。その結果、ピットAの底面よりも高い位置にありそうなことがわかってきました。

第10回は、現在のトレンチの状況を再度まとめて、そこから2011年4月の考察を深められないだろうか、と思ってまとめてみました。そこから派生して、護岸のNo.1エリアのデータをどう読むか、という話をひとり事故調さんやよっちゃんさんとの議論で深めてきました。その中で得られた知見は「護岸付近にある地下水観測孔の「深さの違い」で解けてくる謎」や「護岸エリアの中粒砂岩層(透水層)は海とどうつながっているのか?」にまとめました。

さて、これらを受けて、今回は、いよいよ最後のまとめをしようと思います。やっとここまでたどり着きました。3.11から3年には間に合いませんでしたが、漏洩事故発生から3年に何とか間に合ったようです。


14. 仮説の前提条件の再確認

さて、第8回でも一度振り返ったのですが、再度、2011年4月の漏洩について、どんな事実関係があったのかを確認しておきましょう。何があったのかを考えるためには、まず事実認定が必要です。第8回で示した条件は下記のようなものでした。

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(1) 4/1以前にはピットA付近の雰囲気線量はそれほど高くなく、4/2になって初めて上昇したこと。これは、ピットAには4/1か4/2に初めて高濃度の汚染水が流れ込んできたことを意味します。

→TV会議の書き起こしの中で、2011年4/1にピットAの線量は500mSv/h、ピットBの線量は400mSv/hであるという測定結果が出ています。それ以前については報告がないため、ひょっとしたらそれ以前からピットAに流れ込んでいたかもしれません。(1)は前提条件として成立しないということが明らかになりました。3月下旬にはピットA付近に流れ込んできていてもおかしくないというのが最新の知見です。

(2) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約2400であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれより低いこと)。

→ピットAの水位はO.P.で約3000であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれとほぼ同じであること)。に修正します。


(3) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入したのに流量が下がらなかったこと。

→これは、第8回の時にも気がつかずに修正をしなかったのですが、(5)の関連で示したように流量は変動しています。
昨年夏のまとめの際には、2号スクリーンの海水濃度変化は、流量は変化せずに濃度が変化した、という仮定のもとに仮説を立てました。しかし、今回のTV会議の書き起こしから、2号スクリーンの濃度変化は、流入量の変化を反映しているということがわかりました。そこで、もう一度2号スクリーン海水のデータ(Cs-137)を確認しておきましょう。
2011年4/2 11:50 1.2E+05 Bq/cm3
2011年4/3 18:25 3.6E+04 Bq/cm3
2011年4/4 09:00 9.6E+04 Bq/cm3
2011年4/5 08:00 5.5E+03 Bq/cm3
2011年4/6 07:40 3.2E+03 Bq/cm3

このことから、(3)は(5)と合わせて下記のように修正します。 
(3)4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入した事により一時的に流量は落ちたが翌朝にはもとに戻り、決定的な効果は与えられなかったこと。ただし、4/5には約1/20に流量が落ち、効果が遅れて出た可能性もあること。

(4) 4/4にトレンチ立て坑にトレーサー(バスクリンのようなもの)を投入したにも関わらず、スクリーンからはトレーサーは一切出てこなかったこと。

→これは事実として変わりませんが、今回の考察やいただいたコメントの中で、汚染水が採石層などを通過するとしたらそこで土壌にトレーサーが吸着されてしまって海にでる頃には見えなくなる可能性があり、条件としてはふさわしくない可能性が出てきました。そこで、この(4)は仮説に必須の条件からははずすことにします。(4)が成立するためには、それまでの流路がふさがれたという条件をつけないといけませんが、それは考慮しなくて良いとしました。

(5) 4/5の2号スクリーンの海水放射能は、Cs-137でいうと前日4/4 9:00の96000Bq/cm3から4/5 8:00の5500Bq/cm3にまで低下したこと(この期間には新たな対策はとっておらず、最終的に漏えいを止めた水ガラスなどの投入は4/5 15:07以降である)。一方、漏えいが止まった翌日4/6 7:40には3200Bq/cm3にしか低下していないこと。

→(3)で述べたように、流量の変化があったことを説明できる仮説を考える必要があります。

(6) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

→(4)と関連しますが、この時は流出口のすぐ近くからトレーサーを入れていますので、吸着されることもなく白い水が出てきたのでしょう。

(7) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。

(8) そもそも、海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されていること。ただし、このことは今回の海洋漏えい経路と直接関係していないかもしれないため、これは必ずしも満たされなくても良いと思います。

→今回は、これを満たす条件を考えてみます。
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以上のように修正した結果、以下では、下記の5条件を満たす仮説を考えることにします。

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(1) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約3000であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれとほぼ同じであること)。

(2) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入した事により一時的に流量は落ちたが翌朝にはもとに戻り、決定的な効果は与えられなかったこと。ただし、4/5には約1/20に流量が落ち、効果が遅れて出た可能性もあること。

(3) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して翌朝には止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

(4) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。

(5) 海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されているおり、その可能性を説明できること。
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15. 2011年3月末に起こったことを再現します

(1) 概略

もう3年も前のことなので、ほとんどの人が忘れていることでしょうが、汚染水漏れという観点から2011年3月に起こっていたと考えられる事をこのあとに示していきます。読みながら思い出していって下さい。


まず、1号機(3/12)、3号機(3/14)の水素爆発のあと、2011年3月はとにかく炉心を冷やすことが最重要として対策がとられました。海水を注入し、3/25または3/26に淡水に切り替えることができました。一方で、使用済み燃料プールへの注水は4号機が一番問題とされました。ヘリコプターによるパフォーマンス的な3号機への注水(3/17)に始まって、キリンと呼ばれる生コンクリート圧送機を用いての注水(3/22)も行われるようになりました。

炉心への注水が落ち着いてきた頃の3/24に3号機タービン建屋地下で作業員が水たまりに入ったところ、それが実は高濃度汚染水で、その作業員は足の皮膚に大量の被曝をしたという事件がありました(3/24追記:コメントを受けて間違いを修正しました)。この事によって、格納容器は健全であるという発表がウソであることがだんだんと多くの人にわかってきました。と同時に、原子炉に注水された水がどこへ行ったのか、東電は当時は一切発表しませんでしたが、それがどういう経路を通っていたかは不明ですが、タービン建屋にまで達していたということが作業員の被曝によって明らかになりました。


さらに3/28には、トレンチに水がたまっている事が判明します。その時点では1号機が一番水位が高いことがわかっていましたが、実は1号機トレンチには津波の海水が入っていたので、汚染水の海洋漏洩という観点では一番切羽詰まっていたのは2号機でした。3/28に発表された時点で2号機トレンチの水位はO.P.2960です。約O.P.3m。護岸付近のO.P.は4mですので、約1mの余裕があるとみんなは考えていました。

しかし、この時にはすでにトレンチからさらに海水配管トレンチの分岐トレンチを経て、ケーブル管路を通じてピットB、ピットAにまで汚染水が達していたものと思われます。下の図で赤い矢印をつけたところには汚染水が到達していたはずです。


0322-1
政府事故調の中間報告書資料V-9に加筆)

そして、この時点ですでに地震によってどこかにできたヒビから汚染水が土の中に漏れ始めていたのだと思います。

といっても、この説明ではよくわからない人も多いでしょうから、2012年に「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」において書いた事を一部内容を修正してこのあとに記載していきます。


(2) 注水量とトレンチ水位から計算できる経路外への漏洩量

これまでおさらいしたように、2011年3月12日以降は炉心への注水をどんどん行っていました。そして、その水は原子炉建屋からタービン建屋を通じてトレンチへ、さらには海へと流れ出ていったのです。では、その量はどれくらいあったのかを考えてみましょう。

まず炉心への注水量を、2012年に私が集計したExcel表を用いて示します。これは、東京電力が発表していたデータを元に集計したものです。

0316-3

上の表は各原子炉への注水量(単位:トン)を示したものです。黄色くぬったところは海水から淡水に切り替えた時期を示します。赤く塗った日付は汚染水が海に漏れ出していたと東電が認めた時期です。

下のExcel表には上のようなデータなどいくつかのシートが掲載されています。興味のある方は是非見てください。

osenui.xlsx  (リンクを押すとダウンロードします)

当時の注水量は、崩壊熱から考えて必要な量よりは多めに注水されていました。2011年4月当時の日本原子力学会の推定では、2011年4月の段階で1号機は1時間あたり6トンですが、崩壊熱による蒸気発生熱が1時間あたり2トンあるため、差し引き4トンの流量で注水されている計算になると記載があります。同様に2号機は、4月で注水量が1時間あたり7トンですが、崩壊熱による蒸気発生熱が1時間あたり4トンあるため、差し引き3トンの流量で注水されている計算になると記載があります

このことから、2012年当時の私は大ざっぱに注水量の約半分が炉心に注水された計算になると考えました。特に1号機は水素爆発で屋根がなくなっていたので、水蒸気になった水はそのまま大気中に放出されます。なので、有効注水量、すなわちタービン建屋に移動してトレンチに流れ出した汚染水になるのは、1号機については注水量の半分程度というザックリとした計算が可能です。

一方、2号機は屋根があるので、水蒸気になってもいずれ原子炉建屋の中でトラップされてまた水になって原子炉建屋のどこかにたまるため、注水された水はすべて最終的に汚染水になると考えたのです。そこで、有効注水量は、1号機の注水量の0.5倍と、2号機の注水量の合計という形で計算しました。

しかしよく考えてみると、2号機の場合はブローアウトパネルがはずれていて水素爆発を免れましたので、そこから外に漏れ出してしまった水蒸気が実は多かったと思います。ですから、2号機の有効注水量=注水量としてしまうと、汚染水の量を多めに評価してしまうことになります。基本的に、3月下旬の注水は最終的に全て海に漏れ出したと考えていますので、過大評価したくはありません。そこで、今回は低めに見積もることとし、有効注水量、すなわちタービン建屋を経由してトレンチから海に流れ出していく可能性があった水の量は、1号機と2号機の注水量の合計の半分ということで計算し直しました。

0316-4

上の表で、2号トレンチ(立て坑B)の水位は、3/29から4/6までO.P.2960と変化がなかったことがわかります。3/27はO.P.3000ですが、この時の測定値は機械で測定していませんので5cm単位であった可能性を考慮すると、実質的には3/27から水位が変化していないと判断しても良いと思います。

これをグラフにしてみました。下のグラフは、トレンチの水位と1,2号機の有効注水量の関係を示したものです。

0316-1

このグラフから何がわかるかというと、止水処理を行った4/7以降は水位がどんどん上がっているのが一目瞭然です。棒グラフでその日の有効注水量(1号機、2号機の注水量の半分)を記載しているように、1、2号機の有効注水量=汚染水増加につながる量は4月になってからはほぼ160トン程度で安定しています。従って、一定のペースで水位が上昇していくのが当然と思われます。

4/6~4/11の水位の増加量を見ると5日間でO.P.2960mmからO.P.3090mmと13cmの上昇をしています。一日平均2.6cm。1、2号機の建屋の面積合計は約8000トンですので、8000×0.026=204トンと、有効注水量の平均約160トンにほぼ近い数値となります。私の仮定もそんなに外れていないということだと思います。ちなみに、「昨年3/27のトレンチなどの水位検証により判明した衝撃の事実!」で書いた2012年当時の計算では4月上旬で1日合計約240トンという計算でしたが、どちらもトレンチの水位とのずれということでは変わりありません。

その後、4/12 19:35から4/13 11:00までと4/13の15:02~17:04まで、2号機のトレンチ立て坑から2号機復水器に汚染水を約660トン移送しました(東京電力発表データ)。

その結果、水位は8cm低下しました。グラフには毎朝のデータしか記載していないので4cmほどの低下にしか見えませんが、4/13の午後7時の記者会見では、はっきりと8cmの低下があったと言っています(この水位の説明は4/16 12:17のasahi.comにもあります)。

これは2012年に書いた「サイフォンの原理を理解すれば放射能汚染水の管理は理解できる!」でも紹介した話なのですが、660トンで8cmの低下というのは、1、2号機の床面積合計が約8000トンということとほぼぴったり合う数値です。

しかし、その後復水器への移送を止めたため、再び水位は上昇します。4/14~4/19の5日間でO.P.3065mmからO.P.3200mmと135mmの上昇です。5日間で135mmですから1日で2.7cm。4/6~4/11とほぼ同じです。この時の注水量もほとんど変化していませんので、4/7以降の水位の動きは注水量ですべて説明できることになります。1日30トン前後の微妙なズレは、有効注水量の算出時の誤差の可能性がありますので、ここでは気にしないことにします。

4/20に水位がさがっているのは、4/19から2号機トレンチの水を集中RW/B(主プロセス建屋)に移送を始めたからです。この日以降は集中RW/Bへの移送が始まったため、2号機で有効注水量とトレンチ水位の関係を明確に見ることができるのは4/19までなのです。ですから、このグラフは非常に貴重なものです。

さて、重要なのはここからです。上のグラフにおいて、4/7以降の水位の動きは全て注水量で説明できることを確認しました。であれば、3/27~4/6も同じ事が言えるはずです。この期間に水位の変化がない(上がっていない)ということは、注水された水は原子炉建屋、タービン建屋、2号機のトレンチ以外のどこかに漏れだしていたということをデータが証明しているのです。当然のことながら、この期間は別の場所への移送についてはないことを確認しています。

この間の有効注水量は、先ほどの上の表に示したように、3/27~3/31が約1023トン、4/1~4/5が約895トンです。合計で1918トンになります。このうち東電が発表した海への漏洩量は約520トンです。この時の汚染水の濃度はCs-137で1,800,000Bq/cm3=1,800,000,000Bq/L(18億Bq/L)でしたので、かけ算をすると東電の発表した量はCs-137で0.94PBq(ペタベクレル:1ペタベクレル=10の15乗ベクレル)=940兆Bqになります。一方、この時の有効注水量が全てトレンチなどから海に漏れ出したと考えると、3/27~3/31が約1.84PBq、4/1~4/5が約1.61PBqで合計約3.45PBqになります。

実はこの3.45PBqという数字、2012年に「2号機からの海洋漏洩はいつ始まったのか?(1)シミュレーションからの推定」で紹介した、電中研の津旨さんのシミュレーションの数字とほぼピッタリ合うのです。このシミュレーションでは、下の表のようにCs-137は2011年5月末までに約3.5PBq海洋に漏洩したと報告しています。

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ワークショップのスライドより

このスライドでは、海洋に流出した量は3/26~4/6で2.6PBqで、4/7~4/26までに0.82PBqがさらに出ている計算になっています。これは、海水にCs-137が出てきた日を示しています。一方、私がトレンチの水位から導き出した数値は、トレンチから漏れ出した量が3/27~4/5まででどれだけあったかを示していますが、土壌中に漏れ出して地下水を経由して海に移行した可能性もあり、いつ海に流出したのかまではこの数値ではわかりません。このずれに関しては後ほどまた触れたいと思います。

なお、私の計算で3/26が入っていないのは、3/26のトレンチの水位がないために3/26から漏れ出したかどうかということはこのデータだけからは言えないからです。また、4/5までとしたのは、4/6の朝に止水されたため、4/6の注水量は反映されないと考えたためです。2日分ほどずれてもそれほど大きな違いではありません。


(3) どこから海に漏れたのか?

こうやって考えてくると、3/27(沿岸の海水データからすると3/26の可能性が高いです)にはトレンチからケーブル管路を経てピットB、ピットAにまで達し、ピットAのひび割れからピットの外に汚染水が漏れ出していったということが一つ考えられます。ではその漏れ出した汚染水はどうやって海に出て行ったのでしょうか?

ストーリー(1)

単純に考えて、3/27にはピットAまで達していたとすると、3/27からすでにスクリーンに向かって(4/2のように)ジャージャー漏れ出していたということが想定されます。4/1以前に流れ出ている音を聞いていないということが東電の報告書(2011年4/21)には書いてあるのですが、それは正しくなくて、実は3/27(あるいは3/26)からあのように流れていたという可能性が一つ考えられます。下にイメージ図を書いてみました。汚染水は赤い色で示してあります。

0322-2

この場合は3/26から上昇している沿岸海水データとの整合性も簡単にとれて、非常に解釈が楽です。ただ、本当にスクリーンに対してあれだけの流量で流出していたのにそれまで誰も気がつかなかったのか?東電の発表では、流れ出ている音があったらそれで気がついているようです。2011年5月の3号機からの流出のケースも、作業員が海に流れ出る音に気がついて発見しています。それを考えると、必ずしもこの説が正しいかどうかわかりません。

それからもう一つ、4/3に少し減ってから4/4にもとに戻りそして4/5に大幅に減少という流量の変化を、このような単純なモデルでは説明ができないのです。おがくずを投入したのに水が流れていく気配がない、ということから、4/3にはケーブルトレンチと海水配管の分岐トレンチとの合流地点からピットBにいたる管路の流れはほとんど止まっていたと判断するのが妥当です。しかし、この日も流量は減ったものの汚染水は海に流れ続けていました。これを説明するには、最低でももう一つひび割れがあり、そこから砕石層を通って汚染水がピットAの方へ流れていったと考えないと話が合わないのです。

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つまり、4/3におがくずや水ガラスのようなものを管路に流し込んだ時には、すでに4/2のコンクリート打設によって合流地点→ピットBというルートはほとんどつぶれていました。そのため、どこにあるのかはわかりませんが、別のルートから汚染水は流れ出していました。そして、4/3のおがくずや高分子ポリマーの投入によって本来の流出ルートがさらに止められてしまったので、もう一つのルートからの流出が激しくなっていったのです。そのため、一度下がった流量がまた4/4には上昇します。

実はこの説は2011年4月に東電が説明していた説とほぼ同様の考え方なのです。ただ、4/5には流量がまた下がってしまったということと、トレンチの水位の上昇が4/7以降であることを両立させるのはこの考え方ではちょっと難しいのです。おがくずや高分子ポリマーの効果が徐々に出てきたために別のルートもだんだんと止められていって、4/5には流量が下がり、4/6の午後にはほぼ完全に止まったということかもしれません。


ストーリー(2)

大筋は先ほどのストーリー(1)と似ているのですが、もう少し詳しくしてわかりやすく示してみました。下の図のA-A断面(南北方向)の断面図を下に描き、途中からはB-B断面(東西方向)の断面図を上に付け加えています。そういうつもりで頭の中でイメージしていただければと思います。

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3/26まで:
まず下の図にA-A断面図、すなわちピットAの南北方向の断面図を示します。右側が北側になるように記載しています。左側が漏れ出した2号スクリーンです。3/26まで(沿岸海水のデータから考えると3/25まで)は、おそらく汚染水はピットAまで到達していません。

しかしながら、津波によってピットAの中には瓦礫がかなりたくさん埋もれています。そして、おそらくピットAの南側にはスクリーンにつながる穴が開いていて、水がたまれば流れ出すようになっていたと思います。なぜそう考えるかというと、2011年5月の3号機からの漏洩はまさにそのようなケースだったことが判明しているからです。そして、地震によってその穴に沿って縦にクラックができたのではないかと想像します。ひょっとすると、それによってピットAの下からも汚染水が漏れ出すことができるようになっていたかもしれません。

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また、保安院が撮った写真(下の左)にあったように、ピットAの北側にはスクリーン操作室電線管路があり、その北壁面には大きなクラックがあります。このクラックは、ピットAの北側の地表にできた大きなクラック(下の右)につながるものです。おそらくこのクラックは写真では見えないもっと下まで続いていて、そこから汚染水が出入りできるようになっていたのだと思います。

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3/27~4/2の発見時まで:
3/27(あるいは3/26)にはトレンチから流れてきた汚染水がピットB経由でピットAにもたまり始めます。しかしながら、ピットAの北側には地震によって大きなクラックができており、そこからピットの外の土の中にも流れ始めていました。そのため、当初は南側のスクリーンに流れ出ていた汚染水はそれほど勢いよく流れていなかったのではないかと思われます。それが3月中にはスクリーンからの流出を発見できなかった理由ではないでしょうか。

しかし、3/27(あるいは3/26)から汚染水が海へ流出していたことはこの考え方で説明ができます。そうすると、沿岸海水データで、3/26から上昇していたという事実とも合致することになります。

TV会議の書きおこしによると、ピットAの下部には地震でできたと思われる空洞があるということでしたので、そこにかなりの水がたまっていたと思われます。また、事故当時の地下水の水位は、まだサブドレンが止まってから2-3週間しか経っていませんでしたから、原発事故前の水位のO.P.1m以下だった可能性があります(事故前の水位は8/23の汚染水処理対策委員会資料(20ページ)参照)。

3/11の津波があり、その後サブドレンが止まってどこまで海水が入って来たのかわかりませんが、ここではあまり変わっていないという仮定で考えます。(TV会議の書きおこしでも「地下水はもっと低いはずだ」、という発言がありました。)

4/2に発見された時には、ピットAの周辺にはかなり漏れ出しており、それがもうあふれるスペースがなくなってピットAに汚染水がたまっていたと思われます。当然、この頃にはスクリーンから勢いよく汚染水が流れ出ていました。4/2の昼頃でCs-137が120,000 Bq/cm3(=1.2億Bq/L)の汚染水濃度を記録しています。

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また、上の図では赤い汚染水がピットA下部の砕石層付近に留まっているような図を描いていますが、空洞があったというような話と合わせて考えると、仮に地下水の水位がO.P.1m程度だったとしても、汚染水が地下水と合流していた可能性もあります。それが潮汐を通じて海に流れ出していったというのが一つの可能性としてあります。ただ、その場合には海に到達するのは何時間という単位ではなく、何日或いは何ヶ月という単位になる可能性もあり、その漏洩が海水のデータにいつ反映されているのかはわかりません。

4/2から4/3まで:
4/2に汚染水がスクリーンに漏れていることが発見されてから、4/2にはピットBとピットAにコンクリートが投入されました。4/3におがくずなどを投入した合流地点からピットBへ至る経路は4/2のコンクリート打設でほぼ閉塞されたものと思います。そのため、管路を通じた汚染水の流入はほとんど抑えられ、行き場のなくなった水はすでに地震でどこかにできていたヒビからあふれて、砕石層を通じて流れ出しました。

しかしながら、4/2のコンクリート打設と翌4/3のおがくずや高分子ポリマー投入によって、4/3のサンプリング時点までに流出した汚染水の量は減っており、4/3夕方のスクリーン海水のCs-137は36,000Bq/cm3と前日よりも大きく下がりました。

下の図では、別のひび割れから流れ出た汚染水が砕石層を通っていくような形で書いてありますが、最初に流れ出した汚染水が砕石層を逆流して広がっていた可能性もあるということは付け加えておきます。

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4/3から4/4まで:
TV会議の書き起こしでは、4/3の夕方にスクリーンからの流出画像を見ながら、前日の4/2よりも横幅が広がったという議論をしています。また、翌4/4の朝の全体会議の議事概要にも「また、漏水箇所はヒビではなく、径60~80mm の円形の穴である。コンクリート打設時に残ったコンクリートドレン配管かもしれない。」という記載があります。

この事から、4/3の夕方頃には流出口の幅が広がり、直径6cm~8cmの円形になっていたことがわかります。4/2発見当時は横幅3cmという情報すら打ち消していましたので、その時はそこまで幅広くはなっていなかったものと思います。幅が広くなったのは、「コンクリートの水抜きの穴がポンと抜けてしまったのではないか」という発言がTV会議の書きおこしでありました。

4/3に一度下がったスクリーン海水の濃度が4/4にCs-137で96,000Bq/cm3と再び上昇したのは、流出口の幅が広がって流量が増えたからだと考えると納得できます。

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4/4から4/5朝まで:

スクリーン海水の濃度が4/4の96,000Bq/cm3から4/5の5,500Bq/cm3に低下したのは実は一番の謎です。というのも、4/4には特に何もしていないからです。すでに「2011年4月のビーバー作戦を再現します その8(新たな情報を元に始める謎解き1)」で示したように、この濃度の低下は主に流量減少によるものと思われますので、どうして流量が低下したのか、を考える必要があります。

現段階で私が考えているのは、上流(具体的な場所は不明ですが、とりあえず図には書き込んであります)にできた別のひび割れからの流出量はあまり大きなものではなかったのではないかということです。4/4にスクリーンからの流出口の幅が広がって流出量が増えたためにそれまでたまっていた汚染水がかなり流れ出してしまい、新たに供給される(別のひび割れからの)汚染水が少ないために4/5にはスクリーンからの流出量が減ってしまったのではないか、ということです。また、4/3のおがくずや高分子ポリマーが時間が経って効果を示してきたという可能性もあります。ただ、この時点では完全に止まっていないことは確かでしょう。止まっていれば、トレンチの水位が4/5から上昇していたはずだからです。

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4/5から4/6まで:

4/5には東京電力がピットAの下部の砕石層に水ガラスを注入し始めました。この水ガラスの注入前にトレーサーを注入したらスクリーンの流出口から白く濁った水が出てきたことから、水の流路がつながっている事を確認した上での水ガラス投入でした。この薬液注入により、汚染水の流出がかなり抑えられました。しかしながら、完全には止めることができませんでした。

このあとで示すように、流出口の高さはピットAの底面よりも上だったと考えられますので、ピットA下部の砕石層にトレーサーを入れたときにすぐに流出口から出てきたということは、砕石層とピットAの中は自由に汚染水が行き来できる形であったことがわかります。現在私が考えているように、ピットAの北側に大きく縦にクラックが入っているような形であればその条件は満たせるものと思います。

0322-9

4/6朝:

水ガラスを何ヶ所も注入したのに、なかなか汚染水の流出は止まりませんでした。最後に止めることができたのは、砕石層ではなく、ピットAの内側に入れたときでした。この理由は、「2011年4月のビーバー作戦を再現します その9(新たな情報を元に始める謎解き2)」で示したように、流出口の高さがO.P.2200程度とピットAの最下部(O.P.1900)の下ではなく上部にあったと考えると納得がいきます。

また、4/7以後(実際には4/6の夜8時頃から)はトレンチの水位が上昇を始めたということですので、これまでの水ガラス処理と、4/6に補強のために行われた追加の水ガラス処理(これは具体的にどこになされたかはTV会議の書きおこしでも明示されていません)によって、漏洩が少なくともトレンチの水位で見えるより少ない量に抑えられたということです。

先ほど書いたように、1号機2号機の建屋は底面積が合計で8000m2ですので、1日に8トン(約300L/時)以内の漏洩ならばトレンチの水位は1mm以下です。従って、多少の漏洩があったとしても、1日8トン以下ならば、トレンチの水位変化で検出できないことになります。

4/5の段階では上流のひび割れからの流出は止まっていなかったのに、4/6午後には1日8トン以下の漏洩に抑えられていたというのは、4/4の説明で書いた、高分子ポリマーやおがくずが徐々に効果を現してきたと考えるしかないと思います。

0322-10

以上の説明では細かい部分を説明し切れていないのですが、現在までわかっている情報では完全な形で説明することは難しいので、このストーリー(2)を現状での私の仮説としておきます。この仮説により、下記に示した5つの条件に対して、(2)と(4)の説明がやや不十分なのですが、それ以外は十分に説明できると思います。

今回は、特に(5)の説明が出来る事を考慮して仮説を組み立てました。2013年8月に「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証(6) 私の仮説」を書いたときには考えなかった要素ですが、2013年3月26日からの沿岸海水データを説明できない仮説では意味がないと今回は考えたからです。

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(1) 4/2にピットA内の汚染水はCs-137が1,900,000Bq/cm3、スクリーンから海に流れ出している水はCs-137が1,800,000Bq/cm3と、どちらも2号機のタービン建屋内とほぼ同じ濃度の放射能が検出されたこと。つまり、ピットAに流れ込んできた汚染水が地下水などで希釈されずにほぼそのまま流出したこと。ピットAの水位はO.P.で約3000であったこと(その日のトレンチの水位はO.P.2960であるがそれとほぼ同じであること)。

(2) 4/3に上流のケーブル管路をはつっておがくずや吸水ポリマーを投入した事により一時的に流量は落ちたが翌朝にはもとに戻り、決定的な効果は与えられなかったこと。ただし、4/5には約1/20に流量が落ち、効果が遅れてでた可能性もあること。

(3) 4/5にピットAの下部に水ガラスを大量に投入して翌朝には止水できたこと。また、直前のトレーサーの投入では、トレーサーを入れてすぐに白い水が出てきたこと。

(4) 4/6に止水をしたことにより、4/7以降のトレンチ立て抗やタービン建屋の水位がさがらずに上がったこと。

(5) 海洋への直接流出が始まったのは2011年3/26頃の可能性が論文などで示されているおり、その可能性を説明できること。
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他にもいくつか可能性のあるストーリーはあり得ると思うのですが、TV会議でもおそらく明らかになっていない、東電内部の人間にしかわからないあるいは内部の人間にもわからないような条件を加えないと誰もがすっきりとする真実には到達できないと思います。今回、TV会議の書きおこしという強力な情報を加えてもこれ以上の情報が得られなかった以上、やや不完全ではありますが、一定の説明ができる今回の仮説で留めておきたいと思います。

これをお読みになった方から「こんな可能性があるのでは?」という疑問、提言などいただけるのであればそれは歓迎します。明らかな矛盾点などが判明しない限り、ここでこの謎解きについてはひとまず終わりとしたいと思います。いくつかの落ち穂拾いもあると思いますが、それは現在の護岸エリアの状況を考える際に一緒に考えてみようと思います。


(4) 漏洩量の差異はどう説明するか?

さて、(2)において、2011年3月下旬から4月上旬の注水量は「3/27~3/31が約1023トン、4/1~4/5が約895トンです。合計で1918トンになります。このうち東電が発表した海への漏洩量は約520トンです。」と説明しました。4/1~4/5の約895トンは全てあの流出口から海に出て行ったと考えないと、沿岸海水データから計算されている2011年5月までに約3.5PBqの漏洩と数値が合いません。

どうしてだろうか、といろいろ考えていたのですが、流出量を実際に計算してみると、東京電力がさりげなく用いていたトリックがあることに気がつきました。2011年4/21に東京電力が発表した「福島第一原子力発電所2号機汚染水の止水対策と海洋への流出量について」という資料では流出量の計算方法が載っています。

0322-13

ところがよく見ると、ここでは断面積を計算するための前提として「S=直径3cm」とするとさらりと書いてあるのです。私は「2011年4月のビーバー作戦を再現します その9(新たな情報を元に始める謎解き2)」において、流出口の幅が何cmだろうか、と考えながら多くの写真を調べましたので、このファイルを見直した時にビックリしました。先ほど書いたように、旧保安院の議事概要においても「直径6cm~8cmの円形である」とありますので、4/3夕方頃に横に広がったとしても、それ以降については直径を6cmとして計算する必要があります。

多くの方はおわかりだと思いますが、直径が3cmから6cmへと2倍になれば、断面積は4倍になります。つまり、流量も4倍になるということです。東電の計算では1時間に約4.3トン、つまり1日約100トンの流量ですから、それが4倍の流量になるとすると、4/3~4/4の24時間だけ直径6cmで流れたとしても、東電の発表した約520トンに300トン加えた約820トンという計算になります。とすると、私が算出した4/1~4/5までの5日間の注水量の約895トンというのに近い数字になります。

このことから、東電は直径を低めに見積もることにより、総流出量を低く見積もっていた可能性があります。もし保守的に評価するならば、直径6-8cmということがわかっていた以上、直径6cmで計算するのが普通だと思います。ただ、4/2の発見当初は縦長に水が流れていたという話もあり、幅3cmもなかったという情報があったため、広くなってからの6cmを考慮しても、平均して直径3cmくらいとした可能性もあり、2011年4月当時としては決して意図的に低く見積もったとは言えないかもしれません。

ただ、その後に多くの実測データやシミュレーションが出てきて、改めてデータを見直してみると、明らかにこの「直径3cm」というのは過小評価です。少なくとも4/3午後から4/4午後の約1日間は直径6cmあったとすると、それだけで流出量が約300トン増加します。従って、東電の発表した約520トンという数値よりも、その5日間の注水量の約895トンがほぼ全てスクリーンから流出したと考えるのが正しいだろうと私は考えています。Cs-137にしたら約1.6PBqです。

そうすると、3/27~3/31の注水量の約1023トンというのはどうなるのでしょうか?上に示したストーリー(2)では、かなりの部分がピットAの北側の土壌にあふれ出していて、直接海に流出したのではないと考えています。ただ、直接スクリーンから海に流出した汚染水も何割かあるはずです。その割合はここではわかりませんが、例えば半分近くが3月中に流出していたとしたら、約500トンです。汚染水の濃度はCs-137で1,800,000Bq/cm3=1,800,000,000Bq/L(18億Bq/L)をかけると、約0.9PBqとなり、4月の1.6PBqと合わせると約2.5PBqとなって、電中研の論文で示されていた、3/26~4/6のCs-137が約2.6PBqという数字とかなり近い数字になります。

では、土壌中にあふれ出した汚染水はどうなったのか?このあたりは埋め戻した砂だという表現がTV会議の書きおこしにあり、それが地震で沈下して空隙ができたということが記載されていました。だとすると、通常の土壌とは異なり、あまり土壌にCsが吸着されずに地下水にまで到達し、スクリーンの下部から海に流出していったということが考えられます。この経路に関しては「護岸エリアの中粒砂岩層(透水層)は海とどうつながっているのか?」で考察しました。この汚染水が海に出るまでいったいどれくらいかかるのか?それはわかりませんが、一月程度でもし出るのであれば、電中研のシミュレーション(4/7~4/26に0.82PBqが海に出た)をほぼ説明できることになります。

ただし、これは規制庁の面談資料にしか出てこないのですが、4/6の止水後にピットAの周りに水ガラスの薬液注入を行っていますので、それによって閉じ込められた汚染水もかなりあると思われます。

0322-14
(2013年7/18 規制庁面談資料(7ページ) より)

従って、ピットAの外に漏れ出した汚染水のうちどれだけが海に流出したのかはわかりませんが、この当時に漏れ出した汚染水のうちかなりのものが3年の間に海に流出していった可能性は高いと思います。

2011年4月のビーバー作戦を再現します その10(トレンチのどこから漏れたのかを推論)」で考察した、2011年4月よりもあとのトレンチからの漏洩に関してはまた別途取り上げたいと思います。


16. 最後に

ここまで来るのに予想よりもかなり長くかかってしまいました。しかしながら、TV会議の書きおこしを入手することにより、2013年7月以降の新たな護岸エリアの情報を踏まえて再度考察することができ、本当によかったと思います。おしどりマコさんの主宰するLCMプレスにはこの場を借りて感謝したいと思います。

No.1エリアも2013年後半から大きく変わってきています。もうすぐ海側遮水壁も完成しますし、フェーシングも行われていくことでしょう。明らかに2011年当時とは護岸エリアの状況も変化しており、もう当時の事を振り返るのも難しくなってきたのは間違いありません。

現在Webに掲載されている情報も、年月の経過とともに徐々に消されていくことと思います。Webのニュースなどでも、サーバー容量の関係からか原発事故後1年経ったら消されてしまった情報がいくつもあったのを私は経験しています。この4月に年度替わりで消されてしまう情報もあると思います。だからこそ、あまり年月の経過しないうちに多くの情報を集めて2011年4月に何が起こっていたのか、それを記録に残しておきたいと私は考えたのです。

2011年4月に高濃度汚染水が海に漏洩したという大きな事故が起こり、それ以来3年にわたって福島県の漁業に大きな影響を与えています。昨年あたりから試験操業を少しずつ行ってその魚種を増やしてきていますが、数ヶ月おきに大きな汚染水漏れがあり、そのたびに福島県の漁協から東電に対して抗議が出ているという状況です。昨年から東電が実施したいと考えて説明してきた地下水バイパスにしても、今年になって少し動きがありそうですが、いまだにいつ実施できるかどうか不透明です。

自分自身の興味のためというのが始めたきっかけだったのですが、今はまだ子供でわからなくても、これから5年10年と経って、福島の海が放射能で汚染されたきっかけはいったい何だったのか、どうしてこのような事故が起こったのか、ということを詳しく知りたい人が出てきた時に参考となる資料にしたいという思いもあり、このまとめは書いてきました。2012年に始めたときはまだわからないことが多かったのですが、2013年になって東電が海への汚染水漏洩を認めてからは多くの情報が出てくるようになり、それによって新たに考察することができるようになりました。しかし、おそらくこれ以上は事故当時の情報はもう得られないと思います。

2012年の「福島第一原発2号機の謎に迫る(仮題)」シリーズからはじまり、2013年夏の「2号機からの海洋漏洩の真実は?2年前の漏洩事故を再検証」、さらには「2011年4月の汚染水海洋漏洩事故時に行われた「ビーバー作戦」を再現します」として続けてきたこのシリーズも、今回で一区切りにしたいと思います。

今後は、すでに「護岸付近にある地下水観測孔の「深さの違い」で解けてくる謎」や「護岸エリアの中粒砂岩層(透水層)は海とどうつながっているのか?」でも取り組んでいますが、現在の汚染水の状況についてもう少し焦点を当てていきたいと思います。このシリーズが終わらないと取り組めないと思っていたことがいくつかありますので、それに移行していきたいと思いますが、福島第一原発の汚染水については、ウオッチし続けていく予定ですので、今後もこのブログをぜひご覧になっていただけるとありがたいです。

 
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コメント

Re: 少し間違いがあります

ひとり事故調さん

コメントありがとうございました。

> 作業員の被曝
> 3月24日の3号機T/Bでの作業員の被曝は、足の皮膚の被曝であって内部被曝ではありません。

仰るとおりですね。さっそく修正しておきました。

> 炉注水の水蒸気の行方
> 屋根が無いと水蒸気が全部大気に放出されたとお考えのようですが、そんなことはありません。格納容器が蒸気を閉じ込めており(完全ではないかもしれませんが)、水蒸気は格納容器の天井や壁の部分で冷やされて凝縮され、大雨のようになって降ってきて、途中で蒸発していたはずです。大雨のような様子は2年ほど前に2号機格納容器の内部で撮影されています(この時は温度が下がっているので途中で全部蒸発することはありません)。時間当たり4トンの蒸気が発生しても、それが外に放出されたということではありません。

格納容器の内部についてあまり理解していない頃に計算した考え方を今回微調整しただけでしたので、指摘していただくまで気がつきませんでした。2011年3月当時、蒸発した水蒸気もほとんど格納容器で閉じ込められていたとすると、あふれた汚染水の量が2倍近く増える計算になりますね。

2011年4月後半のトレンチ水位の動きからみて、トレンチの方に流れ出た汚染水の量は私の計算と大幅に違っていないのは確かだと思いますので、蒸発した水蒸気が建屋内にトラップされたとすればそれはトレンチに来るまでの建屋の方でどこかに漏れ出したと考えないといけなさそうですね。

少し間違いがあります

議論の本質とは関係ない部分で、少し間違いがあるのに気付きましたのでコメントします。

作業員の被曝
3月24日の3号機T/Bでの作業員の被曝は、足の皮膚の被曝であって内部被曝ではありません。

炉注水の水蒸気の行方
屋根が無いと水蒸気が全部大気に放出されたとお考えのようですが、そんなことはありません。格納容器が蒸気を閉じ込めており(完全ではないかもしれませんが)、水蒸気は格納容器の天井や壁の部分で冷やされて凝縮され、大雨のようになって降ってきて、途中で蒸発していたはずです。大雨のような様子は2年ほど前に2号機格納容器の内部で撮影されています(この時は温度が下がっているので途中で全部蒸発することはありません)。時間当たり4トンの蒸気が発生しても、それが外に放出されたということではありません。
当時2号機のブローアウトパネル脱落部から白い蒸気(湯気)が出ていたのは、地階に溜まった汚染水から蒸発したものが建屋内を上昇したもので、蒸発量はそれほど多くはないと思います。
なお、注水量は必要量を大幅に上回っており、特に事故の翌年からその傾向が酷くなっています。それが汚染水の量が増えた主原因です(地下水だけが悪者にされていますが)。JAEAの計算によると2号機の事故2年後の崩壊熱は267kWです。これは放射能の放出・流出が無い場合の数字であり、実際には250kW程度だと思われます。その冷却に必要な水量は、概算すると0.36t/hとなります。注水量はその10倍以上もあります。注水量がおそろしく過剰な状態は今も続いています。
これは確か東北大学の先生が例えておられたと思いますが、発熱量を家庭用のホットプレート(1300W)で換算すると、たかだか200台ほどです。事故から3年経った現在は120台程度と概算できます。

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3.11では、停電・断水のため、一晩避難所で過ごし、震災後の情報収集をきっかけにブログを始めました。
これまで約4年間、原発事故関係のニュースを中心に独自の視点で発信してきました。その中でわかったことは情報の受け手も出し手も意識改革が必要だということです。従って、このブログの大きなテーマは情報の扱い方です。原発事故は一つのツールに過ぎません。

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